ワダマメドットコム

話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

石川祐希(いしかわ ゆうき)

プロバレーボール選手:パワーバレー・ミラノ所属。生年月日:1995年12月11日。愛知県岡崎市出身。中央大学法学部政治学科卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長192cm、体重84kg。血液型:AB。

ワダマメちゃんねる


アニメ石川祐希物語

兄妹で日本代表

 元実業団陸上選手の父と、元実業団バスケットボール選手の母の間に生まれる。姉と妹の3人きょうだい。妹の真佑(まゆ)もイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに所属するバレー選手。

バレーとの出合い

 姉の練習に付いて行った時に先生に誘われ、小学4年でバレーを始める。その先生は石川がスポーツが得意なのを知っていて声を掛け、すぐに素質を見抜き、始めて数か月後の全国大会でベンチ入りさせている。

 小学校卒業時の身長は160㎝ほどだったが、中学2年から急激に伸び、卒業時は180㎝を突破した。卒業式では一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を作ったと言う。

史上初2年連続三冠

 星城高校時代はエース、キャプテンとして史上初の2年連続の三冠を達成(インターハイ、国体、春高)。中央大学に進学した14年に日本代表に初選出。同年の全日本インカレでは1年生ながら18年ぶりの優勝に貢献し、MVPを受賞した。

NEXT4とイタリア移籍

 14年12月から15年3月までイタリアプロリーグ、セリエAのモデナに短期移籍。15年4月には石川、柳田将洋、髙橋健太郎、山内晶大の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成され、同年のワールドカップで大ブレイク、一躍スター選手となった。

 16年の世界最終予選で敗退し、リオ五輪出場はならず。全日本インカレ3連覇を達成した後イタリアに渡り、セリエA・ラティーナにレンタル移籍。シーズン途中での加入で、怪我やリベロでの出場などもあったが、当初の契約を延長してシーズン終了までプレーした。

 17-18シーズンもラティーナでプレー。リーグ途中で一時帰国し、4連覇に挑んだ大学最後のインカレは準決勝で筑波大学に敗れて3位だった。

プロ転向

 18年3月の大学卒業と同時にプロに転向。18-19シーズンはセリエAのエマ・ビラス・シエナでプレーし、チームで唯一全26試合にスタメン出場。

 19年6月、イタリア・セリエAのパドバに移籍することを発表。セリエA14チーム中、3分の2ほどからオファーがあり、出場機会を最優先に選んだという。

19年ワールドカップ

 19年のワールドカップでは日本代表を過去最多の8勝、28年ぶりの4位に導き、セカンドベストアウトサイドスパイカーに選ばれた。

19-20シーズン

 19-20シーズンはパドバで全19試合、71セットに出場し、242得点を記録。ポイントゲッターとして活躍していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、リーグが打ち切りとなった。チームは8勝11敗の7位。

ミラノ移籍

 20-21シーズンはセリエAのパワーバレー・ミラノでプレー。20年12月に新型コロナウイルス感染を発表したが、1月に公式戦に復帰した。

 22-23シーズンもミラノでプレーし、23年1月には日本選手初となるイタリア通算2000得点を達成。22/23シーズンはチーム初のベスト4進出を果たした。

東京オリンピック

 21年4月、日本代表の主将に就任。自身初の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

龍神NIPPONのエースとして

 23年はネーションズリーグで主要国際大会では46年ぶりとなるメダル(銅メダル)を獲得。得点王・ベストアタッカーの個人2冠に輝き、ベストシックス(ベストアウトサイドヒッター)にも選ばれた。

 アジア選手権では3大会ぶりの優勝を果たしMVPを獲得。ワールドカップでは2008年北京五輪以来となる自力での日本男子五輪出場権獲得に貢献した。

史上最高の逸材

 『日本史上最高の逸材』と言われ、高校の先輩でもある日本代表のセッター・深津英臣は「今後石川のような選手は出てこない。『昔はもっとすごい選手がいた』と言われることもあるが、彼に勝る選手は絶対にいない」と最大級の賛辞を送っている。

関連人物

小野寺太志 関田誠大 髙橋健太郎 深津英臣 西田有志 山内晶大

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/10/11