プロバレーボール選手:パワーバレー・ミラノ所属。生年月日:1995年12月11日。愛知県岡崎市出身。中央大学法学部政治学科卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長192cm、体重84kg。血液型:AB。
- ワダマメちゃんねる
- 兄妹で日本代表
- バレーとの出合い
- 史上初2年連続三冠
- NEXT4とイタリア移籍
- プロ転向
- 19年ワールドカップ
- 19-20シーズン
- ミラノ移籍
- 東京オリンピック
- 史上最高の逸材
- 関連人物
- 作品
ワダマメちゃんねる
兄妹で日本代表
元実業団陸上選手の父と、元実業団バスケットボール選手の母の間に生まれる。姉と妹の3人きょうだい。妹の真佑(まゆ)もイタリア・セリエAのイル・ビゾンテ・フィレンツェに所属するバレー選手。
バレーとの出合い
姉の練習に付いて行った時に先生に誘われ、小学4年でバレーを始める。その先生は石川がスポーツが得意なのを知っていて声を掛け、すぐに素質を見抜き、始めて数か月後の全国大会でベンチ入りさせている。
小学校卒業時の身長は160㎝ほどだったが、中学2年から急激に伸び、卒業時は180㎝を突破した。卒業式では一緒に写真を撮りたい女子生徒が行列を作ったと言う。
史上初2年連続三冠
星城高校時代はエース、キャプテンとして史上初の2年連続の三冠を達成(インターハイ、国体、春高)。中央大学に進学した14年に日本代表に初選出。同年の全日本インカレでは1年生ながら18年ぶりの優勝に貢献し、MVPを受賞した。
NEXT4とイタリア移籍
14年12月から15年3月までイタリアプロリーグ、セリエAのモデナに短期移籍。15年4月には石川、柳田将洋、髙橋健太郎、山内晶大の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成され、同年のワールドカップで大ブレイク、一躍スター選手となった。
16年の世界最終予選で敗退し、リオ五輪出場はならず。全日本インカレ3連覇を達成した後イタリアに渡り、セリエA・ラティーナにレンタル移籍。シーズン途中での加入で、怪我やリベロでの出場などもあったが、当初の契約を延長してシーズン終了までプレーした。
17-18シーズンもラティーナでプレー。リーグ途中で一時帰国し、4連覇に挑んだ大学最後のインカレは準決勝で筑波大学に敗れて3位だった。
プロ転向
18年3月の大学卒業と同時にプロに転向。18-19シーズンはセリエAのエマ・ビラス・シエナでプレーし、チームで唯一全26試合にスタメン出場。
19年6月、イタリア・セリエAのパドバに移籍することを発表。セリエA14チーム中、3分の2ほどからオファーがあり、出場機会を最優先に選んだという。
19年ワールドカップ
19年のワールドカップでは日本代表を過去最多の8勝、28年ぶりの4位に導き、セカンドベストアウトサイドスパイカーに選ばれた。
19-20シーズン
19-20シーズンはパドバで全19試合、71セットに出場し、242得点を記録。ポイントゲッターとして活躍していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、リーグが打ち切りとなった。チームは8勝11敗の7位。
ミラノ移籍
20-21シーズンはセリエAのパワーバレー・ミラノでプレー。20年12月に新型コロナウイルス感染を発表したが、1月に公式戦に復帰した。
22-23シーズンもミラノでプレー。イタリア8季目となる。
東京オリンピック
21年4月、日本代表の主将に就任。自身初の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。
史上最高の逸材
『日本史上最高の逸材』と言われ、高校の先輩でもある日本代表のセッター・深津英臣は「今後石川のような選手は出てこない。『昔はもっとすごい選手がいた』と言われることもあるが、彼に勝る選手は絶対にいない」と最大級の賛辞を送っている。
関連人物
LAST UP 2023/06/06