大家友和(おおか ともかず)

横浜DeNAベイスターズ二軍投手コーチ。背番号78。右投両打。1976年3月18日生、京都府出身。身長185cm、体重91kg。

 3人兄弟の次男として生まれる。小学2年の時に両親が離婚、兄弟3人母親に引き取られる。

 漫画【 ドカベン 】に憧れ、小学3年で少年野球チームに入団。ドカベンと同じキャッチャーを希望するも外野手となったが、肩の強さを買われて5年生でピッチャーに転向。

 中学卒業後強豪・京都成章高校に進学。私立は経済的に厳しかったが、プロを目指すのを条件に兄が援助を引き受けトラック運転手に転職、結婚も延期してくれたという。

 3年生でエースになるも府大会決勝で敗れ、甲子園出場はならなかったが、ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。94年4月、70年の太田幸司以来となる高卒ルーキー4月初勝利を挙げる。リリーフ登板でたった3球で掴んだ初勝利だった。その後は一軍二軍を行き来する日々が続き、渡米前の勝利数は初勝利の1勝のみ。

 97年に教育リーグに参加したのをきっかけにメジャーリーグに憧れるようになり、98年11月に金銭トレードでボストン・レッドソックスに移籍。99年シーズンが始まると2A、3Aで無敗の15連勝を記録して7月にメジャー初昇格、10月に初勝利を挙げる。

 その後エクスポズ、ナショナルズ、ブルワーズ、ブルージェイズを渡り歩いて2桁勝利を3度記録。07年には野茂英雄以来日本人二人目のメジャー通算50勝を挙げた。2000年6月には3Aで完全試合を達成している。

 07年6月にブルージェイズから戦力外通告。カージナルス、マリナーズ、ホワイトソックスとマイナー契約するも活躍できずにいたが、08年12月にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結ぶと09年5月、2年ぶりにメジャー昇格し、18試合に登板して1勝5敗。

 シーズン終了後FAとなって10年3月にメキシコ・リーグ、キンタナローと契約するも外国人枠により直後に自由契約となる。4月に12年ぶりに古巣・横浜に復帰。先発ローテーションの一角として22試合に登板し、7勝(9敗)を挙げた。

 11年は7試合に先発するも0勝6敗。9月に右肩のクリーニング手術を受けたが、10月に戦力外通告。12年は所属球団がなかったが、13年は独立リーグ「BCリーグ」の富山でプレー。12月にブルージェイズとマイナー契約を結ぶも14年3月に自由契約となる。14年は米、15、16年は日本の独立リーグでプレー。17年にオリオールズとマイナー契約を結んだが、3月に戦力外通告。6月に現役引退を表明した。

 17年10月、横浜DeNAベイスターズ二軍投手コーチに就任した。

 野球選手として活躍する一方、03年に立命館大学に入学。04年にはNPO法人「Field of Dreams」を設立して大家ベースボールクラブ(OBC)などを運営、社会人野球チーム「OBC高島」のGMも務めている。

 ※通算成績
 日本プロ野球:63試合8勝17敗 防御率5.23 奪三振112。
 メジャーリーグ:202試合51勝68敗 防御率4.26 奪三振590。

LAST UP 2018/11/27