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髙橋藍(たかはし らん)

バレーボール選手。生年月日:2001年9月2日。京都府京都市出身。日本体育大学在学。ポジション:アウトサイドヒッター。身長188㎝。

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アニメ髙橋藍物語

クウォーター

 2学年上の兄、3歳下の妹と3人きょうだいの次男として生まれる。母親が日本とアメリカのハーフなので自身はクウォーター。兄の髙橋塁もVリーグ・サントリーサンバーズに所属するバレーボール選手。

ホームランにちなんで

 野球好きの父親によりホームランに因んで藍と名付けられる。「素直で明るい」の意味を持つ藍色も由来になっているという。父親は息子を野球選手にしたいと思っていたが強制されることはなく、バレーをすることも反対しなかったという。

小学2年でバレーを始める

 バレーをやっていた兄の練習試合についていった時、メンバーが足りなくなり、コーチに助っ人を頼まれたのがきっかけで小学2年でバレーを始める。

 塁は子供の頃から身体が大きかったものの藍は小さく、小学生時代はアタッカーの兄に決めてもらいたくてレシーブを拾い、高学年からアタッカーもやるようになった。

 子供の頃から兄弟仲が良く、小・中・高、同じ学校に進学し、同じチームでプレー。兄が小学校を卒業して一人チームに残った際は、バレーをやめたいと母親に泣いて頼んだという。

中学までは小柄

 中学校進学後も小柄で当初はリベロとしてプレーしたが、その後アタッカーに転向。3年間全国大会に出場。京都府選抜に選ばれ、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)にも出場している。中学3年の後半から急激に身長が伸び、高校進学後さらに伸びたという。

春高優勝

 兄と同じ東山高校に進学すると、3年生の時にエース、キャプテンとして自身初の春高出場。優勝候補の前評判通りの強さで同校初優勝を失セット0の完全優勝で飾り、MVPに選ばれた。

日体大に進学

 兄・塁は日本大学にしたが、一人になってバレーに取り組んでみたい、違うチームで戦ってみたい、などの想いから2000年に日体大に進学。同年度の日本代表登録メンバーに初選出される。

 同年の全日本インカレ準決勝で日大と対戦。初の兄弟対決を制し、インカレ準優勝。

東京オリンピック

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年の延期を経て開催された2021年の東京オリンピックでは、チーム最年少(19歳)ながら全試合にスタメン出場。攻守に渡って活躍し、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たし、日本は7位。イケメン選手としても注目を集めた。

 五輪後に行われたアジア選手権では準優勝に貢献。

イタリア挑戦

 日体大の9年ぶりの秋季リーグ優勝に貢献し、全日本インカレ終了後イタリアプロリーグ・セリエAのパドヴァに期限付きで入団し、シーズン終盤にはリベロとしてもプレー。

 22-23シーズンもパドヴァでプレーし、開幕から2試合連続を含む3度のMVPを獲得するなどシーズンを通して主力として活躍。チーム2位、リーグ13位タイの300得点をマーク。石川祐希(ミラノ)の255得点を上回った。

龍神NIPPONとして

 23年は、ネーションズリーグで主要国際大会では46年ぶりとなるメダル(銅)獲得に貢献。アジア大会では3大会ぶりの優勝を果たし、ベスト6に選出。

 ワールドカップでは、初戦のフィンランド戦で『後ろ向きアタック』のスーパープレーを決めるなど躍進の原動力となり、2008年北京五輪以来となる自力でのオリンピック出場権を獲得した。

モンツァ

 23年6月、イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァと契約したことを発表した。日体大に在学しながらイタリアでプレーを続ける。

インスタフォロワー200万人

 国内外で人気を集め、22年8月にファースト写真集【 RAN 二十歳の肖像 】を発売し、23年3月には初のフォトエッセイ【 髙橋藍 カラフルデイズ 】を発売。ワールドカップ終了後の23年10月11日にはインスタグラムのフォロワーが200万人を突破した。

関連人物

石川祐希 大塚達宣 髙橋塁 西田有志

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/10/12