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高見のっぽ(たかみ のっぽ)

ノッポさん。俳優。作家。歌手。1934年5月10日 - 2022年9月10日。京都府出身。立川高校卒業。本名:高見嘉明(たかみ よしあき)。旧芸名:高見映(たかみ えい)。

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父親は物真似芸人

 父はかつて『松旭斎天秀』『柳妻麗三郎』『チャーリー高見』などの芸名で奇術師、映画俳優、物真似芸人として活躍したが、息子・嘉明(高見のっぽ)が物心ついた頃にはすでに芸人を辞め、町工場の工場長をしていたという。

図工は得意でなく

 京都で生まれ、幼い頃に東京に転居。戦火が激しくなったため、小学4年の時に家族とともに岐阜・笠松に疎開した。子供の頃は不器用で、図工の成績も平均以下だったという。

父のもとで芸人修業

 高校2年で東京に戻り、立川高校に転校。同じ頃に父が芸人活動を再開、高校時代から父のかばん持ちとして芸人修業を始める。

幸運が舞い込み

 20代はほとんど仕事がなく失業状態だったが、28歳の時、知り合いに誘われ人数合わせでテレビに初出演すると、ちょうど新番組の司会者を探していた関係者の目に留まり、子供向け音楽番組『音楽特急列車』の司会に抜擢される。芸名『高見映』として出演した。

 番組は半年で終了したが、子供向け番組にかかわるようになり、『魔法のじゅうたん』や『ブーフーウー』などに出演する傍ら、子供の歌の作詞や振り付けなども担当。『ひらけ!ポンキッキ』の構成作家を約10年に渡って務めた。

できるかな」がスタート

 67年、子供向けの工作番組『なにしてあそぼう』のスタートと同時に『ノッポさん』として出演。好評を博すもリニューアルのため70年3月に終了し、4月から新番組『できるかな』がスタート。『できるかな』にはノッポさんは出演していなかったが視聴者からノッポさんを望む声が寄せられ、71年4月から番組に復帰。90年3月の番組終了まで出演した。最終回ではそれまで1度もしゃべらなかったノッポさんがしゃべり出し、多くの反響を呼んだ。

グラスホッパー物語

 『できるかな』放送終了後はテレビ出演や講演活動、絵本の出版などを行う一方、05年にはNHKみんなのうた【 グラスホッパー物語 】で歌手デビューも果たす。07年にはNHK放送文化賞を受賞した。

 俳優、作家、歌手として幅広く活躍し、19年には【 キットカット 】のCMで『できるかな』の『ゴン太くん』と共演している。

死去

 22年9月10日、心不全のため死去した。88歳だった。周囲を騒がせたくない、半年以上伏せてほしい、との本人の希望から半年経った23年5月10日、本人の誕生日に死去が公表された。

関連人物

忍足亜希子

参考文献

【 ノッポさんがしゃべった日 】

作品

【 主な出演作品 】
【 主な音楽作品 】
【 著書・関連書籍 】

LAST UP 2024/01/18