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土田和歌子(つちだ わかこ)

プロ車いすアスリート:八千代工業株式会社所属。生年月日:1974年10月15日。東京都出身。都立清瀬東高校卒業。

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谷真海 パラスポーツの力

高校2年で事故に遭い

 小学生時代は強豪チームでバスケットボールに打ち込む。高校時代はアルバイトに精を出していたが、2年生の時に友達の運転でドライブ中事故に遭い脊髄を損傷、車いす生活となる。

長野パラリンピック金メダル

 リハビリで車いす陸上を始めたが、長野パラリンピックに向けて開かれた講習会に参加して日本で最初にアイススレッジスピードレース(そりに乗って行うスピードスケート競技)を始めると、3ヶ月後のリレハンメルパラリンピックで入賞。

 その後はアイススレッジと陸上両方に取り組み、96年に大分国際車いすマラソンハーフで優勝。98年長野冬季パラリンピックではアイススレッジスピードレース1000m・1500mで金、100m・500mで銀と4つのメダルを獲得、1500mでは世界記録を更新した。なおアイススレッジスピードレースは長野パラを最後に正式競技から外れている。

日本初の夏冬パラメダリスト

 長野後は陸上に専念し、2000年シドニー五輪では、公開競技の車いす女子800mで銀メダルを獲得。車いすマラソンでは銅メダルを獲得し、日本人初の夏冬パラリンピックメダリストになる。

 01年大分国際車いすマラソンでは世界新記録で優勝し、04年には5000mで世界新記録を樹立。同年のアテネパラリンピックではマラソンで銅、5000mでは金メダルを獲得し、日本人初の夏冬金メダリストとなった。

ボストンマラソン日本女子初優勝

 05年に結婚、翌年長男を出産して一時競技を離れたが、07年ボストンマラソンで日本女子初優勝。08年東京マラソンは車いす女子は一人だけの出場だったが完走して優勝。

 08年北京パラリンピックは5000mとマラソンの2冠を目指すも、5000mで他選手に巻き込まれて転倒し途中棄権。負傷により再レースを棄権し、マラソンも棄権した。

ロンドンパラリンピック5位

 復帰レースとなった09年東京マラソンで優勝。11年にはボストンマラソン5連覇を達成し、世界陸上では公開競技の車いす女子800mで銀メダル。12年のボストンマラソンはわずか1秒差で2位に終わり、6連覇はならず。ロンドンパラリンピックマラソンは5位だった。

世界記録更新

 13年の大分国際車いすマラソンでは1時間38分07秒で世界記録を更新。16年の東京マラソンでは9連覇を達成。リオデジャネイロパラリンピックはトップとわずか1秒差の4位だった。

トライアスロンに挑戦

 17年からトライアスロンに挑戦。世界パラトライアスロンシリーズに参戦して優勝も飾り、18年には世界パラトライアスロン選手権で銀メダルを獲得。

 19年6月にはアジアパラトライアスロン選手権で優勝。同月の世界パラトライアスロンシリーズモントリオール大会で2位。8月のパラトライアスロンワールドカップ東京大会では優勝を飾った。

 

東京マラソン

 4年ぶりに出場予定だった20年の東京マラソンは新型コロナウイルス感染拡大により出場を取り止めたが、同年の大分車いすマラソンでは優勝した。

東京パラリンピック

 夏冬合わせて8度目のパラリンピックとな東京パラリンピックではトライアスロン(PTWC)とマラソン(車いすT54)の2競技に出場する。開会式では聖火ランナーを務めた。

 最初に出場したトライアスロンは9位。マラソンは4位だった。

八千代工業所属

 なお事故後高校に復学して1年遅れで卒業し、その後障害者スポーツセンターでのアルバイト、東京都教育庁職員を経て01年にS.H.I(セイコ・ハシモト・インターナショナルコーポレーション)所属のプロ選手となる。06年にヒューマントラストに移籍し、09年からは製薬会社・サノフィ・アベンティスに所属。14年10月から八千代工業に所属している。

関連人物

橋本聖子 マセソン美季

関連項目

東京パラリンピック特集

LAST UP 2021/09/07