- ワダマメちゃんねる
- 父は元実業団バレー選手
- 生まれた時から大きく
- 小学2年でバレーを始める
- 中学時代は無名
- コロナ自粛期間に成長
- 春高ベスト4
- 日本代表入り
- パリ五輪出場権獲得
- パリ・バレーでプレー
- ネーションズリーグ銀メダル
- 期待の大型アウトサイドヒッター
- 関連人物
- 参考文献
ワダマメちゃんねる
父は元実業団バレー選手
父親が元9人制実業団バレー選手という家に生まれる。兄・妹との3人きょうだいの次男。2歳上の兄・孝太郎もSVリーグ・サントリーサンバーズ大阪に所属するバレー選手。
生まれた時から大きく
出生時の体重が3978グラムで、子供の頃から背が高く、食べ物の好き嫌いもなく食欲旺盛で、寝ることが好きで、すくすく成長する。
小学2年でバレーを始める
小学2年で、父親が監督をしていた『延岡南バレーボールクラブ』に入部してバレーを始める。先に兄が入部していたものの厳し練習が嫌で渋っていたが、バレーボールを買ってもらったことで入部を決めたという。
中学時代は無名
延岡市立南中学校進学後もバレーを続けるも、JOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)などのメンバーに選ばれることもなく、無名のまま過ごした。
中学卒業後、兄のいる宮崎県立日南振徳高校に進学。小・中・高・大学とずっと兄・孝太郎と同じチームでプレーしている。
コロナ自粛期間に成長
春高ベスト4
状態が改善し、本格的なトレーニングを再開すると、高校3年で同校バレー部初のインターハイ出場を果たし、『大会唯一の2mプレーヤー』として注目を集め、準々決勝で優勝した鎮西高校に敗れるもベスト8に進出し、優秀選手に選出。
春高にも初出場を果たすとベスト4に進出し、優秀選手に選ばれた。
日本代表入り
2022年に専修大学に進学すると、同年に日本代表登録メンバーに初選出される。大学進学後アウトサイドヒッターに転向。6月には日本代表Bチーム強化合宿に参加し、元日本代表リベロ・永野健からサーブレシーブを重点的に教わる。8月にはアジアU20選手権に出場した。
パリ五輪出場権獲得
2023年5月に中国との国際親善試合でシニア代表デビュー。ネーションズリーグで日本代表公式戦デビューを果たし、主要国際大会では46年ぶりとなるメダルを獲得(銅)。アジア選手権では3大会ぶりの優勝に貢献。
同年のワールドカップでは主にピンチサーバーとして起用され、2008年北京大会以来となる自力でのオリンピック出場権獲得を果たした。
パリ・バレーでプレー
兄・孝太郎とのチームメイトととして最後の大会となった23年の全日本インカレは2回戦で筑波大学に敗れた。
大学シーズン終了後、フィリップ・ブラン日本代表監督の勧めもあってフランスリーグ1部のパリ・バレーでプレー。チームメイトととなった宮浦健人の支えもあり、ウエイトトレーニングによってパワーアップを果たすなど成長を遂げた。
ネーションズリーグ銀メダル
24年のネーションズリーグでは主要国際大会では47年ぶりとなる銀メダルを獲得した。
期待の大型アウトサイドヒッター
チーム最年少、20歳でパリオリンピック日本代表に選ばれるなど、身長2メートルの大型アウトサイドヒッターとしてさらなる活躍をされている。
関連人物
参考文献
LAST UP 2024/07/19