ワダマメドットコム

話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

高橋勇市(たかはし ゆういち)

陸上競技(T11)、トライアスロン(PTVI)選手:三菱商事株式会社所属。生年月日:1965年6月12日。秋田県横手市出身。大曲農業高校卒業。身長169cm、体重58kg。血液型:A型。

農家の長男

 農家の長男として生まれる。小学5年の時に百日咳にかかって3ヵ月欠席。病気明けの運動会の徒競走でビリになる。悔しさから練習に励んで翌年は1位になり、中学校で陸上部に入部。800m、走り高跳び、1500mなどで大会に出場するも目立った成績は残せなかった。

高校2年で白点状網膜炎を発症

 家業を継ぐため農業高校に進学したが、2年生の時に「白点状網膜炎」を発症し、視力が低下。日常生活に支障をきたすようになって大学受験にも失敗。浪人生活を送るも、黒板や教科書を読むのが困難で予備校に通わなくなる。

網膜色素変性症を併発

 親戚を頼って上京し、中華料理店で働き始めるも仕事はままならず。職業安定所で相談したところ、国立身体障害者リハビリテーションセンターで職業訓練を受けるよう勧められ、同センターに入所した。入所後の視力検査で難病の「網膜色素変性症」を併発していることが判明し、失明は避けられないと告げられている。

 理療教育課程でマッサージや指圧を学ぶ一方、陸上経験を買われて盲人マラソンに出場。10キロ走を何度か完走したものの、あまり興味を持てずにマラソンから遠ざかった。

初フルマラソンを5時間かけて完走

 88年にリハビリセンターを卒業。あん摩マッサージ指圧師の国家試験にも合格し、マッサージ師として働き始めると、96年アトランタパラリンピックのマラソンで金メダルを獲得した柳川春己に刺激され、12月のNAHAマラソンに出場。初のフルマラソンを4時間53分47秒で完走し、その後は本格的に練習を重ね、マラソン出場の度に自己記録を更新。

 しかし99年の代表選考会を怪我で欠場し、シドニーパラリンピック出場はならなかった。34歳の時に完全に失明している。

国際盲人マラソンで世界記録を樹立

 01年には初出場の100キロのウルトラマラソンを完走。03年の全日本盲人マラソン選手権で優勝してアテネパラリンピック代表の座を獲得すると、04年4月の国際盲人マラソンでは2時間37分43秒の世界記録(当時)を樹立した。

アテネパラリンピックで金メダル

 04年9月のアテネパラリンピックでは男子T11(全盲クラス)の3種目に出場。初めに出場した1万mでは日本新記録で4位に入賞するも、次の5000mでは途中棄権に終わったが、マラソンでは見事に金メダルを獲得。活躍を評価され総理大臣表彰、東京都障害者スポーツ功労賞、秋田県民栄誉賞などを受賞した。

北京パラリンピックで連覇を目指すも

 06年にはIPC陸上競技世界選手権マラソンで金メダルを獲得。08年の北京パラリンピックではマラソンのみに出場して連覇を目指したが、ルール変更により全盲と弱視が同じクラスに統一されたため厳しい戦いとなり、16位に終わった。

ロンドンパラリンピックは7位

 11年のIPC陸上競技世界選手権マラソンは4位。12年のロンドンパラリンピックマラソンは7位。

トライアスロン

 18年からはトライアスロンにも取り組み、同年のITUパラトライアスロンワールドカップサラソタ大会で優勝。現在トライアスロンとマラソンで東京パラリンピックを目指している。

薬剤師と結婚

 陸上で活躍する一方、04年3月に株式会社アイ・ティ・フロンティア(現日本タタ・コンサルタンシー・サービシズ)に入社し、ヘルスキーパー兼CSRアドバイザーとして勤務。04年に眼科医院の薬剤師で市民ランナーでもある女性と結婚した。

三菱商事入社

 14年10月に三菱商事が始めた障がい者スポーツ応援プロジェクト「DREAM AS ONE.」でアンバサダー(親善大使)を務め、15年10月に三菱商事に入社した。

関連人物

道下美里

LAST UP 2020/07/14