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河合純一(かわい じゅんいち)

北京パラリンピック日本選手団団長。元水泳選手。パラリンピック金メダリスト。生年月日:1975年4月19日。静岡県出身。早稲田大学教育学部卒業。早稲田大学大学院教育学研究科修了。

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谷真海 パラスポーツの力

先天性ブドウ膜欠損症

 先天性ブドウ膜欠損症のため生まれつき左目の視力がなく、右目の視力も3歳の時に手術で取り戻した0.1。

 子供の頃はエレクトーンや習字、空手を習い、5歳で水泳を始めると小学生時代は地区大会で優勝して主将を務める。中学校でも1年生で全校1位になったが、3年生の時に右目も失明。しかし水泳を続けて地区大会で3位になり、県大会にも出場した。

バルセロナパラリンピックに出場

 筑波大学附属盲学校高等部に進学し、寮生活を送りながら、水泳部顧問の勧めでパラリンピックを目指すようになり、91年の日本選手権、ジャパンパラリンピックで優勝。92年バルセロナパラリンピックは6種目に出場して銀メダル2個、銅メダル3個を獲得した。

早大に進学

 94年に早稲田大学に推薦入学。障害者スポーツセンターで練習を続け、同年の第1回世界選手権で3種目優勝。活躍が認められ、翌年早稲田大学水泳部に入部した。一方で早稲田大学点字会にも所属し、授業や教科書の点訳などのサポートを受けている。

母校に社会科教師として着任

 96年アトランタパラリンピックでは念願の金メダルを2つ獲得(銀1、銅1も獲得)。97年には教員採用試験に合格し、翌年母校の静岡県浜名郡舞阪町立舞阪中学校(現・浜松市立舞阪中学校)に社会科教師として着任。

シドニーパラ日本選手団主将

 日本選手団主将を務めた2000年シドニーパラリンピックでは金2、銀3を獲得。03年から2年間教員を休職して大学院に進学。同年には著書【 夢追いかけて 】が映画化され、自ら自分役で出演した。少年時代を演じたのは俳優の勝地涼。

中学校の英語教師と結婚

 04年アテネパラリンピックでは金1、銀2、銅2を獲得。05年に舞阪中学に復職し、06年には公立中学校の英語教師と結婚(現在は2児の父親)。異動により08年4月から静岡県総合教育センター勤務となった。

パラリンピックメダル日本最多

 08年北京パラリンピックでは100mバタフライで銅、50m自由形で銀メダルを獲得し、5大会連続メダルを達成。通算のメダル獲得数も21個(金5、銀9、銅7)となり日本最多記録を更新した(従来の記録は成田真由美の20個)。

3度選挙に立候補するも

 10年5月に総合教育センターを退職。7月の参院選静岡選挙区にみんなの党から立候補したが落選。12年ロンドンパラリンピックは3種目に出場するもメダル獲得ならず。同年の衆院選静岡7区、13年の参院選比例区にみんなの党から立候補したが、いずれも落選している。

日本人初のパラリンピック殿堂入り

 現在は現役を引退して日本スポーツ振興センターに勤務。日本パラリンピック委員会委員長、日本パラ水泳連盟会長なども務めている。かつては日本パラリンピアンズ協会会長も務めた(現在は理事)。

 16年、日本人で初めてパラリンピック殿堂に選ばれた。

東京パラリンピック選手団団長

 20年1月、東京パラリンピック日本選手団団長に決定。パラ大会出場経験者が日本選手団団長を務めるのは夏季大会では初。副団長はマセソン美季(渉外担当)ら3人。

 21年の東京パラリンピックで日本は金13、銀15、銅23の計51個のメダルを獲得した。

北京パラリンピック

 22年の北京パラリンピックでも日本選手団団長を務める。

関連人物

大日方邦子 谷真海 成田真由美 マセソン美季

関連項目

東京パラリンピック特集

LAST UP 2022/03/04