大日方邦子(おびなた くにこ)

チェアスキー選手:電通パブリックリレーションズ所属。1972年4月16日生、東京都出身。中央大学法学部卒業。

 3歳の時に交通事故で瀕死の重傷を負い右足を切断、左足にも障害が残る。4歳で家族と離れて神奈川県立こども医療センターに転院し、5歳で施設内の幼稚園に入園。6歳で義足を付けるとすぐに慣れ、同センターを退院した。

 地元の小・中学校に進学するも、仲の良い友達と別の学校に進学した中学時代は深刻ないじめに遭う。しかし通学し続けて受験勉強に励み、地元の難関・柏陽高校に合格。2年生の時に日本チェアスキー協会主催の講習会に参加してチェアスキーを始めた。

 一浪後弁護士を目指して中央大学に進学し、大学1年の時にチェアスキーの強化合宿に参加。実力不足ではあったが長野大会を見据えて94年リレハンメルパラリンピック代表に選ばれ、アルペンスキーの4種目に出場し滑降で5位入賞。

 96年にNHKに入局。98年長野パラリンピックでは冬季パラ日本人初の金メダルを獲得(滑降)。スーパー大回転で銀、大回転で銅メダルも獲得した。金メダリストとして知られたこともあり、長野パラ後から日常生活でも車いすを使うようになったという。

 01年には取材で出会った【 スキージャーナル 】の編集者(現フリー編集者)の堀切功さんと結婚(式は挙げたが入籍はしていない)。02年のソルトレイクパラリンピックでは銅メダル2個、06年のトリノパラリンピックでは金メダル1個、銀メダル2個を獲得した。

 教育番組のディレクターをしていたNHKを退局し、07年6月に電通パブリックリレーションズに転職。08年に試合中に右肩脱臼の大怪我を負うも手術を経て復帰。10年バンクーバーパラリンピックではアルペンスキー女子回転座位で日本勢大会第1号となる銅メダルを獲得。大回転でも銅メダルを獲得して個人通算10個目となり、自身の持つ冬季大会日本選手個人最多記録を更新した(夏季大会の最多は<a href="kawai-junichi">河合純一</a>の21個)。

 しかし続く滑降のレース中に転倒し途中棄権。全身打撲と診断され出場予定だったスーパー大回転、スーパー複合を棄権した。

 10年9月、記者会見を開いて国際大会からの引退を表明。今後は国内大会に出場しながら後進の育成や競技の普及に当たるという。

 17年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。18年平昌パラリンピックでは日本選手団団長を務めた。

LAST UP 2019/02/08