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マセソン美季(ませそん みき)

東京パラリンピック日本選手団副団長。長野パラリンピック金メダリスト。生年月日:1973年7月17日。東京都出身。東京学芸大学卒業。旧姓:松江。

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谷真海 パラスポーツの力

引っ越しを繰り返すも

 4人姉妹の次女として生まれる。父親の仕事の都合で引越しを繰り返したが、持ち前の明るさですぐに友達が出来たという。

水泳と柔道に打ち込む

 小学1年で水泳を始めるとその後は練習に打ち込み、中学時代は主将も務めたが目標の全国大会出場を果たせず、都立駒場高校進学後柔道に転向(48キロ級)。2年生で初段を取得するも2年、3年と2年連続都大会決勝で敗れ、インターハイ出場はならなかった。

大学1年で交通事故に遭う

 体育教師を目指して東京学芸大学に進学。インカレを目標に柔道に打ち込み2段を取得したが、1年生の秋に交通事故に遭って脊髄を損傷、下半身不随となり車いす生活となる。

車いすスポーツと出合い

 入院中に車いすスポーツと出合い、陸上競技を始めると95年の東京都障害者スポーツ大会800m走で優勝、ジャパンパラリンピックにも出場した。入院中に運転免許を取得し、大学にも復帰している。

長野パラで世界新記録

 95年冬、友人の土田和歌子の影響でアイススレッジスピードレースを始めるとすぐにのめり込み、97年にはノルウェー遠征に参加。同年のプレ大会で活躍し、98年長野パラリンピックではアイススレッジスピードレース4種目に出場し、500、1000、1500mで金メダル、100mで銀メダルを獲得。1500Mでは世界新記録を樹立した。同競技は長野大会を最後にパラリンピックから外れている。

アメリカ留学

 98年3月に大学を卒業し、99年には東京ハーフマラソンで優勝、同年にはアメリカ・イリノイ大学に留学して障害者スポーツ指導を学んだ。

結婚出産

 01年、長野パラリンピックで出会ったアイススレッジホッケー(パラアイスホッケー)カナダ代表、ショーン・マセソンと結婚しカナダに移住。04年に長男を出産し、現在は2児の母としてカナダ・オタワで暮らしている。なおショーン・マセソンは06年トリノパラリンピックで金メダルを獲得、10年バンクーバー大会にも出場した(4位)。

パラリンピック教育に尽力

 現在は日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部プロジェクトマネージャー、日本パラリンピック委員会運営委員。

 IPC(国際パラリンピック委員会)及びIOC(国際オリンピック委員会)教育委員も務め、子どもたちへのパラリンピック教育に努めている。

東京パラ日本選手団副団長

 東京パラリンピックでは日本選手団副団長(渉外担当)を務める。団長は河合純一

関連人物

河合純一 土田和歌子

関連項目

東京パラリンピック特集

LAST UP 2021/08/23