ワダマメドットコム

話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

高島忠夫(たかしま ただお)

俳優。1930年7月27日-2019年6月26日、兵庫県出身。関西学院大学中退。本名:高嶋忠夫。妻は女優・寿美花代。俳優の高嶋政宏高嶋政伸は息子。

ワダマメちゃんねる


テレビと実物の印象が違った芸能人5選

裕福な家庭で育つも

 祖父が地主で資産家だったため家庭は裕福だったが、反面、定職に就かず道楽にふける父の姿を見て育ったことが家庭を大切にする後の自身の姿勢につながったという。

音楽にのめり込み高校を中退

 15歳で終戦を迎え、戦後ラジオから流れてきたジャズに感動してギターを始める。神戸一中(現神戸高校)時代に小松左京(現作家)らとバンドを結成。音楽活動にのめり込んで高校を中退したが、関西学院高等部に編入して関西学院大学に進学。

新東宝で映画スターに

 大学時代に音楽の才能に限界を感じ、新聞で見た映画会社・新東宝の「新東宝ニューフェイス」に応募し合格。51年に第1期「新東宝ニューフェイス」となって上京し、芸名を「高島忠夫」として52年に【 恋の応援団長 】で映画初出演。同年に【 チョイト姐さん思い出柳 】で初主演を果たすと、当時邦画の人気が全盛だったため数多くの映画に出演し、映画スターになった。

東宝に移籍しミュージカル俳優に

 その後ミュージカルに力を入れていた東宝に移籍し、63年に日本初のブロードウェイ・ミュージカル【 マイ・フェア・レディ 】に出演。江利チエミとの共演で大ヒットしてミュージカル俳優としても人気を獲得。

長男が家政婦に殺害される

 63年に女優・寿美花代と結婚。64年に第一子となる長男・道夫が誕生したが、生後5ヶ月で家政婦に殺害される。その後は失意の日々を送ったが、翌65年に政宏、66年に政伸が誕生。結婚した時に子供は2人と決めていたため、長男が生きていたら政伸は誕生していない。2人は生まれ変わりだと考えることで立ち直り、長男の分まで愛情を注ぐことにしたという。

活躍の場をテレビに移す

 70年代に入り、映画に代わってテレビが台頭すると活躍の場をテレビに移し、司会業に進出。寿美と出演した料理番組『ごちそうさま』、映画好きを生かした『ゴールデン洋画劇場』、音楽・クイズ番組『クイズ・ドレミファドン!』などジャンルを問わず名司会者として活躍。家族総出演でファミリーコンサートも開いた。

うつ病を発症し闘病生活に

 98年にうつ病を発症し、レギュラー番組を全て降板し芸能活動を休止。99年に症状が緩和したため1度復帰したが無理がたたって再発、闘病生活に戻った。症状が重く、一時は復帰が危ぶまれたが、02年に家族と一緒にリハビリライブを開催できるほどに回復し、03年に芸能界に復帰、闘病記【 「うつ」への復讐 】も出版した。

88歳で死去

 パーキンソン病や不整脈も発症するも、13年には『独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」~寿美花代・献身愛で闘う夫の病~』で5年ぶりにテレビ出演を果たす。17年には初孫となる次男・政伸の第一子が誕生した。

 19年6月26日、老衰により死去した。88歳だった。

関連人物

寿美花代 高嶋政伸 高嶋政宏

LAST UP 2019/08/22