元フィギュアスケート選手:中京大学体育学部卒業。1990年9月25日生、愛知県出身。身長163cm。姉・浅田舞も元フィギュアスケート選手。
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父親が大地真央のファンで
姉・舞の2歳下の妹として生まれる。父親が女優・大地真央のファンだったため「真央」と名付けられた。
5歳でフィギュアスケートを始め、小学4年から山田満知子コーチの指導を受けると、天才・伊藤みどりを育てた山田をして「フィギュアスケートをするために生まれてきた」と言わせる程の才能を示し、00年から4年連続全日本ノービス選手権優勝。小学6年の時に特例で出場した全日本選手権では3連続3回転ジャンプを披露し、7位に入賞した。
ジュニアタイトルを総なめ
04-05年シーズンは全日本ジュニア、ジュニアグランプリファイナル、世界ジュニアとジュニアタイトルを総なめ。翌05-06年から本格的にシニアに参戦すると、いきなりグランプリ(GP)ファイナル優勝。全日本選手権では女子で初めて2度のトリプルアクセルを成功させて2位に入り、一躍国民的アイドルになった。しかし年齢制限に87日足りずトリノ五輪には出場できず、連覇確実と思われた世界ジュニアは韓国の新鋭、キム・ヨナに敗れて2位に終わった。
日本人5人目の世界女王に
山田コーチの提案で、06年から山田のもとを離れて練習拠点をアメリカに移す。06-07年に全日本選手権初優勝を果たし、初出場の世界選手権は安藤美姫に次ぐ2位。07-08年は全日本連覇とともに世界選手権初優勝を飾り、日本人5人目の「世界女王」になった。しかしGPファイナルでは06年、07年と2年続けてライバル、キム・ヨナに敗れ2位に終わる。
タチアナ・タラソワをコーチに
08-09年は練習拠点を日本に戻して名コーチ、タチアナ・タラソワの指導を受け、GPファイナルで国際大会女子史上初となる2度のトリプルアクセルを成功させて3年ぶりに優勝し、全日本選手権3連覇も達成。連覇を目指した四大陸選手権はSPで6位に終わるも、フリー1位と巻き返して銅メダルを獲得。しかし世界選手権は4位に終わり、シニア転向後初めて表彰台を逃した。
09年に中京大中京高校を卒業して中京大学に進学。進学後初めての大会となった第1回世界国別対抗戦では自身初の200点越えを果たして女子シングル1位となったが、日本は3位だった。
バンクーバー五輪銀メダル
09-10年は序盤不調に苦しみ、初めてGPファイナル進出を逃したが、全日本選手権は4連覇を達成。バンクーバー五輪では五輪女子シングルSP史上初のトリプルアクセルを決め、フリーでも2度成功させて銀メダルを獲得。世界選手権では2年ぶり2度目の世界女王に輝いた。
10-11年は佐藤信夫をコーチにつけるもジャンプの不調に苦しんでGPファイナル進出を逃す。5連覇を目指した全日本選手権は2位、四大陸選手権も2位に終わり、世界選手権は6位。
11-12年は3年ぶりにGPシリーズ優勝を果たすも、母・匡子さんが肝硬変のため死去。GPファイナルは欠場したが、全日本選手権は2年ぶり5度目の優勝。世界選手権は2年連続の6位に終わった。
12-13年はGPシリーズで連勝し、ファイナルも制覇。全日本選手権は2連覇を達成し、世界選手権は銅メダル。
ソチ五輪
シーズン限りでの引退を表明して臨んだ13-14年はGPシリーズで連勝し、ファイナルも制覇。全日本選手権は3位。ソチ五輪女子シングルはSP16位と出遅れるもFSは3位と巻き返して6位。世界選手権では4年ぶり3度目の優勝を果たした。
14-15年は1年間休養するも、現役続行を表明。15-16年はGPシリーズ中国杯で優勝したがNHK杯は3位、ファイナルは6位。全日本選手権3位、世界選手権は7位だった。
現役引退
16-17年はスケートアメリカ6位、フランス杯9位。全日本選手権は12位。17年4月、現役引退を表明した。現在はプロスケーターとして活躍している。
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LAST UP 2019/08/24