ワダマメちゃんねる
娘を宝塚に入れたかった父
父親が娘を宝塚に入れたいと思っていたため、姉はレッスンを受けていたが宝塚音楽学校に入学できず、レッスンを受けたことのない妹・節子(寿美花代)が合格して、47年に宝塚音楽学校に入学。
星組男役トップスターに
歌や踊りを習ったことがなかったため必死に努力して48年に宝塚歌劇団に入団し、同年【 春の踊り 】で初舞台。その後星組男役トップスターに就任し、60年には【 華麗なる千拍子 】で芸術祭賞、テアトロン賞を受賞、宝塚を代表するスターとして一時代を築いた。
高島忠夫との出会い
宝塚在籍中、司会を務めていたテレビ番組『季節のミュージカル』にゲストとして来た高島忠夫と出会う。番組内で寿美が作詞、高島が作曲をした歌を二人で歌う企画などを通じて親しくなり、2年の交際を経て、63年に宝塚を退団して高島忠夫と結婚した。
長男が家政婦に殺害される
64年に第一子となる長男・道夫を出産したが、生後5ヶ月で家政婦に殺害される。その後は失意の日々を送ったが、翌65年に政宏、66年に政伸が誕生。結婚した時に子供は2人と決めていたため長男が生きていたら政伸は誕生していない。2人は生まれ変わりだと考えることで立ち直り、長男の分まで愛情を注ぐことにしたという。そのため夫婦ともに教育熱心で二人の息子をいずれも小学生の頃から塾に通わせたうえに家庭教師を付け、英語も習わせた。
ごちそうさまで高島と共演
結婚後一時期は芸能活動を控えていたが、その後再開。高島と出演した料理番組『ごちそうさま』は好評を博し、71年のスタートから25年間続いた長寿番組となった。家族総出演でファミリーコンサートも開いている。
高島の闘病を支える
98年に高島忠夫がうつ病を発症すると闘病生活を支え、02年にはリハビリコンサートを開いた。現在、テレビ出演のほか講演活動も行っている。
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LAST UP 2007/05/13