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美川憲一(みかわ けんいち)

歌手。1946年5月15日生、長野県出身。東宝芸能学校卒業。本名:百瀬由一(ももせ よしかず)。

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小林幸子 15年間の不遇を招いた一言とは?

生みの母・育ての母

 母・以し子さんが交際相手との子供・由一(美川)を出産したが、相手に妻子がいることを知って別れる。一人で育てていたものの結核を患ったため、2歳の時に以し子さんの姉・米子さん夫婦に引き取られた。美川が事実を知らされたのは中学生になってからで、実父とは1度テレビ番組で対面したがその後連絡は取らなかったという。以し子さんが別の男性との間に男児をもうけたたため異父弟が一人いる。実父にも別の女性との子供、異母兄弟もいるが、実父は死去している。

姿勢がいい理由

 書道家の養父のもと子供の頃からバイオリンや絵画、日舞などを習い、スポーツ嫌いながら高校時代は剣道部に所属。定評のある姿勢の良さは剣道で身に付けた。

 養父母に子供がいなかったため実子のように可愛がられたが、養父は5歳の時に死去している。

浮き沈みの芸能生活

 高校を1年で中退し東宝芸能学校に入学。レッスンに励んで64年に第17期「大映ニューフェイス」に合格し、65年にクラウンレコードから【 だけどだけどだけど 】でデビュー。同年には2曲目を発売するも鳴かず飛ばずだったが、66年に3枚目のシングル【 柳ヶ瀬ブルース 】が大ヒット。

コロッケがものまね

 68年に『NHK紅白歌合戦』に初出場し、その後も【 お金をちょうだい 】【 さそり座の女 】などがヒットしたが70年代後半から低迷。大麻事件などもあり全く活躍できずにいたが、80年代後半にタレントのコロッケが美川のモノマネを始めると同時に「ご本人」として人気を獲得、その後出演したCM「タンスにゴン」も評判になり、返り咲きを果たした。

小林幸子との豪華衣装対決

 現在は芸能界のご意見番としても活躍。『NHK紅白歌合戦』には計26回、91年から09年までは19年連続で出場し毎年小林幸子との豪華衣装対決で注目を集めていたが、10年の第61回NHK紅白歌合戦は落選した。

 なお96年に育ての親の米子さんが死去し、06年7月には生みの親の以し子さんが死去している。

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小林幸子

LAST UP 2010/12/05