元ラグビー選手。1963年1月21日-2016年10月20日。京都府京都市出身。同志社大学商学部卒業。同大学院総合政策科学研究科博士前期課程修了。身長180㎝。ポジション:スタンドオフ、センター。
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中学校でラグビーを始める
二人兄弟の弟として生まれる。小学生時代は野球をやっていたが、上下関係などの体質が嫌いで陶化中学校(現凌風中学校)では野球部に入らず、入学後目にした楕円形のボールに興味を持ってラグビー部に入部する。ラグビー部は発足したてで3年生がおらず、先生も若くて練習が楽しそうだったという。
すぐにラグビーに夢中になって毎晩欠かさず自主練習にも励み、1年生でレギュラーとなり、3年生からは主将を務めて京都ラグビー祭で優勝。中学生の選抜チーム「オール京都」にも選ばれた。
スクールウォーズのモデル
学業も優秀だったため進学校を希望。名門・花園高校から特待生の誘いもあったが、京都ラグビー祭でのプレーに衝撃を受けた京都市立伏見工業高校ラグビー部監督・山口良治から熱心に誘われ、同校に進学した。
オール京都のメンバーの多くも同校に進学して躍進の原動力となり、2年生の時に同校初の全国大会出場(ベスト8)。 3年時は主将を務め、全国優勝を果たした。当時の偉業は後にドラマ【 スクール・ウォーズ 】となった。登場人物・平山誠は平尾がモデル。高校日本代表に選ばれ主将も務めている。
史上最年少で日本代表
同志社大学時代は、82年に19歳4ヶ月の史上最年少(当時)で日本代表に選ばれる。83年~85年の史上初の大学選手権3連覇に貢献した。
神戸製鋼入社
ラグビー強豪企業の誘いを断り、大学卒業後英国に留学。しかし留学前に取材を受けた日本のファッション誌にモデルのような形で掲載されたことがアマチュア規定に抵触し、日本代表から外される。ギャラを受け取っておらず違反の認識もなかったため、誤解を解くたために帰国し、86年に神戸製鋼所に入社した。
ワールドカップ初勝利
神戸製鋼では主将も務めて89年~95年まで日本選手権7連覇を達成。日本代表では87年の第1回大会からワールドカップに3大会連続出場。91年の第2回大会では主将を務め、日本のワールドカップ初勝利に貢献した。
現役引退
96年12月に負傷退場した試合を最後に試合から遠ざかり、98年1月に正式に現役を引退。日本代表キャップ35。
引退後は指導者として、日本代表監督や神戸製鋼コベルコスティーラーズGM兼総監督を歴任。日本サッカー協会理事も務めた。
53歳で死去
2016年10月20日に死去した。53歳だった。死後遺族が前年秋から胆管細胞がんで闘病していたことを明かした。
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LAST UP 2021/01/14