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小野寺太志(おのでら たいし)

プロバレーボール選手:サントリーサンバーズ所属。生年月日:1996年2月27日。宮城県名取市出身。東海大学卒業。ポジション:ミドルブロッカー。身長201㎝、体重98㎏。

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アニメ小野寺太志物語

父母とも長身でバレー経験者

 父親は順天堂大学バレー部OB、母親は実業団バレー・富士フィルムの元選手という家に一人っ子として生まれる。父は身長186㎝、母は179㎝あるという。

長身を買われて県選抜に

 バレーの厳しさを知る母親は息子にバレーを勧めず、近所にバレーチームもなかったため、小学3年で野球を始める。中学校でも野球部に入部したが2年生の時、長身を買われて全国都道府県対抗中学バレーボール大会(JOC杯)の宮城県選抜の選考会から声がかかる。その時は断ったが3年生で再び誘われると、すでに野球部を引退しており、父親の勧めもあって参加。

 それまでバレーは体育の授業で経験した程度ながらすでに195㎝に達していた長身で県選抜に選ばれてJOC杯に出場。大会最長身選手として注目を集め、オリンピック有望選手に選ばれた。

東北高校に進学

 JOC杯でチーム一丸となって戦ったことでバレーの魅力を知り、県選抜メンバーも進んだ名門・東北高校に進学。親元を離れ、寮生活を送ってバレーに打ち込み、1年生で春高出場。ユース日本代表にも選ばれ、12年のアジアユース選手権では石川祐希髙橋健太郎らとともに銅メダルを獲得した。

日本代表

 14年に東海大学に進学し、同年6月には東京オリンピックに向けた強化指定選手『Team CORE』のメンバーに石川髙橋らとともに選ばれる。翌年日本代表に初登録された。

JTサンダーズ入団

 17年12月にJTサンダーズ(現JTサンダーズ広島)の内定選手となり、18年1月の東レ戦でVリーグデビュー。18-19V.LEAGUE DIVISION1ではチームの準優勝に貢献してベスト6を初受賞。日本代表としても19年のワールドカップで活躍し、過去最多の8勝、28年ぶりの4位に貢献した。

日本記録賞

 19-20では、2年連続のベスト6、スパイク賞とブロック賞を初受賞。アタック決定率65.7%は日本人最高記録となり、日本記録賞を受賞した(従来の記録は第8回Vリーグの佐々木太一の63.7%)。

サンダーズの主将に

 20-21V.LEAGUE DIVISION1はチームは6位だったが、3年連続3回目のベスト6、2年連続2回目のブロック賞を受賞。21-22シーズンから主将に就任した。

東京オリンピック

 自身初の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

21-22シーズン

 21年8月31日にJTを退社し、プロバレーボール選手となる。21-22V.LEAGUE DIVISION1はチームは2季連続の6位だったが、フェアプレー賞を初受賞。

結婚

 22年4月、自身のSNSで結婚したことを発表。同年9月に第一子の男児が誕生したことを報告した。

サントリー入団

 23年5月31日付でJTを退部、6月1日にサントリーサンバーズ入団が発表された。

関連人物

石川祐希 髙橋健太郎

2023年度男子日本代表

参考文献

【 月刊バレーボール2020年5月号 】

【 バレーボールNEXt Vol.3 】

【 バレーボールNEXt Vol.7 】

【 バレーボールNEXt Vol.8 】

作品

【 著書・関連書籍など 】

LAST UP 2023/06/06

西田有志(にしだ ゆうじ)

バレーボール選手。生年月日:2000年1月30日。三重県いなべ市出身。海星高校卒業。ポジション:オポジット。身長186㎝、体重87㎏。左利き。血液型:O型。

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アニメ西田有志物語

5歳でバレーを始める

 両親はバスケットボールの実業団選手だったが、姉兄の影響で5歳で「大安ビートル」に入団してバレーを始める。小学4年で全日本小学生大会に出場。大安中学時代は2年、3年と全国都道府県対抗中学大会(JOC杯)の三重県選抜に選ばれた。

春高出場はならずも

 愛知の星城高校など強豪8校から誘われたが、地元の海星高校を選択。春高出場はならずも、16年9月の全国ヤングクラブ優勝大会と17年3月のアジアユース選手権で優勝を経験。3年の時に初出場したインターハイはベスト16だった。

史上最年少Vリーグデビュー

 男子選手の多くが大学を経てVリーグ入りする中、高校在学中の17年10月にジェイテクトの内定選手となる。18年1月、男子史上最年少17歳でのVリーグデビューをスパイク決定率約70%で鮮烈に飾ると、翌日は初スタメンを果たしチーム最多の26得点を挙げた。

最優秀新人賞とサーブ賞

 18-19V.LEAGUE DIVISION1で最優秀新人賞とサーブ賞を受賞。同年5月の黒鷲旗では準優勝に貢献し、敢闘賞、若鷲賞、ベスト6を受賞した。

初優勝でMVP

 19-20V.LEAGUE DIVISION1ではジェイテクトの初優勝に貢献して初のMVPを受賞。レギュラーシーズンでは2年連続のサーブ賞と日本人選手初となる得点王に輝く(ベスト6も初受賞)。645得点、サーブ効果率19.8%はいずれも日本人選手最高記録となり、Vリーグ日本記録賞を受賞した。

 20-21V.LEAGUE DIVISION1では4位に終わり連覇はならなかったが、833得点をマークして自身の記録を更新し、Vリーグ日本記録賞を受賞した。

日本代表

 日本代表には18年4月に初選出され、5月のネーションズリーグで国際大会デビューし、9月には世界選手権に出場。

衝撃のワールドカップ

 日本男子史上最多の8勝を挙げて4位となった19年10月のワールドカップでは、最終カナダ戦の最終セットでサービスエース5本を含む6連続得点を挙げるなど躍進の原動力となり、ベストサーバーを受賞、ベストオポジットにも選ばれた。

東京オリンピック

 自身初の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

イタリア移籍

 五輪後にイタリア・セリエAのビーボ・ヴァレンティアに移籍することを発表。

 21-22シーズン開幕戦では先発出場し、3連続サービスエースを決めるなど開幕戦勝利でデビューを飾る。主力として活躍したが、怪我による離脱もあり、チームは2部に降格。

ジェイテクト復帰

 22年6月、ジェイテクト復帰が発表される。同年の天皇杯では2年ぶり2度目の優勝に貢献するも、原因不明の体調不良による欠場もあり、2022-23V.LEAGUE DIVISION1は6位だった。

古賀紗理那と結婚

 2022年12月31日、女子バレー日本代表の古賀紗理那と結婚したことを発表した。

ジェイテクト退団

 2022-23シーズン限りでジェイテクトSTINGSを退団した。

関連人物

石川祐希

2023年度男子日本代表

LAST UP 2023/06/06

藤井直伸(ふじい なおのぶ)

バレーボール選手。ポジション:セッター。1992年1月5日 - 2023年3月10日。宮城県出身。順天堂大学卒業。身長183cm、体重79kg。

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アニメ西田有志物語

中学校に野球部がなく

 宮城県石巻市に生まれる。子供の頃は自宅の側にある海が遊び場だったという。

 小学生時代は野球に打ち込んだが、中学校に野球部がなく、バレー部に入部。セッターになると、3年生の時に宮城県選抜に選ばれ、JOC杯(全国都道府県対抗中学大会)に出場。

バレーは高校で辞めるつもりが

 東北高校の誘いもあったが、バレーは高校限りにするつもりだったため就職率の高い古川工業高校に進学。春高出場はないが、国体の宮城県代表に選出。全国レベルでのプレーに手応えを感じ、大学バレーの名門・順天堂大学に進学した。

東日本大震災で実家が被災

 大学1年の時に東日本大震災で実家が被災。水産関係の仕事をしていた父が職を失い、大学を辞める決意をしたが、大学の理事長の知人の厚意で学費が免除となり、バレーを続けることができたという。

東レ入部

 レギュラー入りしたのが4年生と遅かったものの、東レから声がかかって入部。1年目の14/15シーズンから出場機会に恵まれ、持ち味であるミドルブロッカーを積極的に使うトスワークを武器に活躍し、15年5月の黒鷲旗で準優勝。16/17シーズンは天皇杯とV・プレミアリーグの二冠に貢献し、自身初のプレミアリーグ、ベスト6を受賞した。

主将就任

 20年度は一人で副将を務め(前季は選手全員が副将)、21年5月、21年度の東レアローズ主将に就任した。

日本代表

 日本代表には17年に初選出。同年のアジア選手権で優勝に貢献し、ベストセッター賞を受賞。

 19年2月、試合中に左手を骨折。全治3か月も復帰して同年のワールドカップに出場し、日本代表過去最多の8勝、28年ぶりの4位に貢献した。

東京オリンピック

 自身初の五輪となった21年東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ五輪以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならなかった。

セッター婚

 五輪後のアジア選手権では準優勝に貢献。21年9月、元女子日本代表のセッター・佐藤美弥さんと結婚したことを発表した。

胃がんを公表

  22年2月、自身のSNSで胃がんのステージ4で闘病中であることを公表した。本人の強い希望もあり、主将は交替しない予定であるとチームが発表している。

死去

 23年3月12日、所属の東レが3月10日に死去したことを発表した。31歳だった。

関連人物

佐藤美弥 篠田歩 髙橋健太郎 富松崇彰 西田有志 米山裕太
21年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2023/04/04

髙橋塁(たかはし るい)

バレーボール選手:サントリーサンバーズ所属。生年月日:2000年1月14日。京都府京都市出身。日本大学卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長186㎝。

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アニメ髙橋塁物語

クウォーター

 2学年下の弟、5学年下の妹と3人きょうだいの長男として生まれ育つ。母親が日本とアメリカのハーフなので自身はクウォーター。弟の髙橋藍もイタリアセリエA、バドヴァでプレーするバレーボール選手。

父親が野球好きで

 野球好きの父親により塁と名付けられる。父親は息子を野球選手にしたいと思っていたが、強制されることはなかったという。

小学3年でバレーを始める

 小学2年の時、テレビで観た女子日本代表・栗原恵のプレーに憧れ、バレーボールに興味を持つ。それから1年間母親に「バレーがしたい」と頼み込み、小学3年でバレーチームに入団。

 翌年には弟・藍も同じチームに入団。子供の頃から身体が大きかった塁はアタッカーで、子供の頃は小柄だった藍は兄にスパイクを決めてもらいたくてレシーブ拾った。

 子供の頃から兄弟仲が良く、小・中・高、同じ学校に進学し、同じチームでプレーしている。

全国大会出場

 蜂ヶ岡中学校時代は3年生の時に主将を務め、藍(当時1年生)とともに全国中学校選手権に出場。京都選抜に選ばれたJOCカップ(全国都道府県対抗中学大会)でも主将を務めた。

春高出場はならず

 京都の強豪・東山高校に進学。2年生の時にインターハイで3位になり、優秀選手に選出。全日本ジュニアオールスタードリームマッチのメンバーにも選ばれた。

 春高出場を目指すも3年連続京都予選決勝で京都のライバル・洛南高校に敗れ、春高出場はならなかった。藍は3年生の時に春高に出場し、東山高校初優勝を果たしている。

日大に進学

 高校卒業日本大学に進学して1年生からレギュラーとして活躍。3年生の全日本インカレでは準決勝で藍の所属する日本体育大学と対戦。初の兄弟対決には敗れたが、3位決定戦で順天堂大学に勝利し、日大45年ぶりとなる全日本インカレ3位となった。

腰を負傷

 4年生になると主将に就任し、前年3位の全日本インカレでさらなる高みを目指すも、夏場の練習中に腰を負傷。それまでの選手生活では経験したことのない痛みに苦しみ、大学最後の公式戦となる全日本インカレを断念して治療に専念。裏方としてチームをサポートした。

サントリーサンバーズ入団

 2021年10月、Vリーグ・サントリーサンバーズ入団内定が発表される。22年に大学を卒業してサンバーズに入団した。

関連人物

大塚達宣 栗原恵 髙橋藍 山村宏太

LAST UP 2023/03/30

髙橋健太郎(たかはし けんたろう)

バレーボール選手:東レアローズ所属。生年月日:1995年2月8日。山形県出身。筑波大学卒業。ポジション:ミドルブロッカー。身長201㎝、体重93㎏。

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アニメ髙橋健太郎物語

怪我で野球を断念

 父親の影響で幼い頃に野球を始め、プロを目指すも中学時代に肘を怪我して断念。スポーツを続ける気はなかったものの、長身を買われてバレー部に勧誘され、米沢中央高校でバレーを始めた。

スパイクを打てず

 しかしスパイクを上手く打てず、一度はバレーを諦めたが、練習試合で見た弘前工業高校の鈴木頌卓(元FC東京)のスパイクにヒントを得て、真似てみると上達し、ユース日本代表に選出。12年のアジアユース選手権では石川祐希らとともに銅メダルを獲得した。

NEXT4

 筑波大学在学中の14年に日本代表に初選出される。15年4月には髙橋、石川、柳田将洋、山内晶大の4人により、男子バレーの未来を担うユニット『NEXT4』が結成され、同年のワールドカップでも注目を集めた。

東京五輪

 16年10月にVリーグ・東レアローズに内定選手として加入。膝や肩の怪我に悩まされ、思うようなプレーが出来ない時期も続いたが、2度目の出場となった19年のワールドカップで活躍し東京オリンピックへ期待をつなげる。しかし東京オリンピックのメンバーから落選した。

21-22シーズン

 21-22V.LEAGUE DIVISION1はチームは4位だったが、2年連続2度目のフェアプレー賞とともにブロック賞、ベスト6を初受賞した。

関連人物

石川祐希 篠田歩 富松崇彰 藤井直伸 山内晶大 米山裕太

2023年度男子日本代表

LAST UP 2022/06/10

清水邦広(しみず くにひろ)

バレーボール選手:パナソニックパンサーズ所属。生年月日:1986年8月11日。福井県福井市出身。東海大学卒業。ポジション:オポジット。身長192cm、体重97kg。血液型:B型。ニックネーム:ゴリ。

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アニメ西田有志物語

母親の影響で

 ママさんバレーの選手だった母親の影響で、小学4年で本格的にバレーを始める。強豪・美山中学校に進学し、1年生でレギュラー入りしたが、2年生の時に左目にボールを受けて網膜はく離を発症。失明は免れたものの視力が0.04まで低下し、現在もプレー時は左目だけコンタクトレンズを使用している。

ゴリと呼ばれるように

 3年生で復帰し、JOC杯(全国都道府県対抗中学大会)でJVA・JOCカップとオリンピック有望選手を受賞。名門・福井工業大学附属福井高校に進学し、春高やインターハイで活躍したが、3年生のインターハイでは準々決勝でライバル・福澤達哉率いる洛南高校に敗れ、ベスト4入りはならなかった。高校時代に監督からその野性味溢れるプレーを「ゴリラ」と評され『ゴリ』と呼ばれるようになったという。

 東海大では1年生からレギュラー入りし、06年の黒鷲旗で大学勢では18年ぶりに決勝進出(準優勝)してベスト6を受賞し、同年全日本インカレ優勝。

全日本デビュー

 07年のワールドリーグで全日本デビュー。大会途中の緊急召集だったがいきなり大活躍して同年のワールドカップは初戦からスタメン出場。08年は16年ぶりの五輪出場権獲得に貢献し、北京五輪にも出場した(5戦全敗で1次リーグ敗退)。

パナソニック入団

 福澤とともにパナソニック入団が決定し、大学在学中の09年1月から内定選手として08/09V・プレミアリーグに出場。最優秀新人賞は福澤に譲ったが、同年5月の黒鷲旗では黒鷲賞(MVP)を受賞。11月のグラチャンでは32年ぶりとなる4大大会での銅メダル獲得に貢献し、ベストスコアラー賞を受賞した。

 09/10V・プレミアリーグでは2年ぶりの優勝に貢献して初のMVPを獲得(ベスト6賞、スパイク賞も初受賞)し、10年は2年連続の黒鷲賞を受賞。

 12年には歌手・中島美嘉との交際が報道され話題になる。3月末に右足首を手術するも6月のロンドン五輪世界最終予選に強行出場し、大会ベストスパイカーランキング1位に輝くも、日本は4位に終わってロンドン五輪出場はならなかった。

中島美嘉と結婚

 13/14V・プレミアリーグでは2年ぶりの優勝に貢献して2回目のMVPを獲得。14年12月に中島美嘉と結婚。15年のアジア選手権では優勝に貢献し、MVPを受賞。15/16V・プレミアリーグでは初の敢闘賞と3回目のベスト6賞を受賞した。

離婚怪我復帰

 18年2月2日に中島美嘉と離婚。同月18日、試合中に右膝を負傷。右膝前十字靭帯断裂、右内側側副靭帯断裂、半月板損傷などで全治12か月の診断を受ける。リハビリを経て19年2月2日、349日ぶりに復帰したが、膝化膿性関節炎により2月11日に手術を受けた。

 3月のファイナルステージで復帰。パナソニックは新生V.LEAGUE初代王者に輝くとともにリーグ連覇を達成。5月の黒鷲旗では準優勝に貢献し、2年ぶり2回目の敢闘賞と2年ぶり6回目のベスト6を受賞した。

通算得点日本記録

 19-20V.LEAGUE DIVISION1は惜しくも3連覇ならなかったが、準優勝に貢献し、4年ぶり2回目の敢闘賞を受賞。11月のサントリー戦では宮崎謙彦(元パナソニック)のVリーグ通算得点4049を上回る4057点を達成、通算得点数の日本記録を更新した。通算出場230試合も達成し、Vリーグ栄誉賞も受賞している。 

 20-21V.LEAGUE DIVISION1は2年連続の準優勝で、2年連続3回目の敢闘賞を受賞した。

東京オリンピック

 08年北京以来13年ぶり2度目の五輪となった東京オリンピックでは、92年バルセロナ以来29年ぶりの日本男子の五輪勝利に貢献。バルセロナ以来となる決勝トーナメント進出を果たしたが、準々決勝で前回王者ブラジルにストレートで敗れ、4強はならず。日本代表からの引退を表明した。

福澤引退

 五輪後に行われた親友・福澤達哉の引退試合では二人でウエディングケーキに入刀した。

再婚

 22年1月、再婚したことを発表した。

関連人物

石川祐希 大塚達宣 永野健 深津英臣 福澤達哉 山内晶大
21年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2022/01/12

福澤達哉(ふくざわ たつや)

元バレーボール選手。ポジション:アウトサイドヒッター。生年月日:1986年7月1日。京都府京都市出身。中央大学法学部卒業。身長189cm、体重86㎏。血液型:B型。ニックネーム:FUKU。

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アニメ大塚達宣物語

名前の由来はタッチ

 京都市伏見区に3人姉兄の末っ子として生まれ、父親が大好きな漫画【 タッチ 】の主人公・上杉達也に因んで達哉と名づけられる。

スポーツ万能

 子供の頃からスポーツ万能で、リレーではアンカーを務めスイミングスクールでは選手コースに所属。小学4年でバレーを始め、伏見中学入学後水泳をやめてバレーに専念すると、3年生の時に京都選抜に選ばれJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)に出場。同じ頃に清水邦広と初めて会い、そのイカツさに圧倒されたと言う。

オール5で洛南高校進学

 中学時代はオール5をとるほど成績も優秀だったため、バレーの強豪で全国屈指の進学校でもある洛南高校に進学。春高やインターハイで活躍し、3年生のインターハイでは準々決勝でライバル清水邦広を擁する福井工大福井を破り、全国制覇を達成した。

 大学では入学直後の春季リーグで猛打賞と新人賞を受賞。同05年のワールドリーグで全日本デビューし、08年には北京五輪に出場(5戦全敗で1次リーグ敗退)。

Vリーグ新人王

 清水とともにパナソニック入団が決定し、大学在学中の09年1月から内定選手として08/09V・プレミアリーグに出場して最優秀新人賞を受賞。同年は5月の黒鷲旗で若鷲賞(新人賞)とベスト6を受賞し、全日本でも9月のアジア選手権で最優秀選手賞を受賞。11月のグラチャンでは32年ぶりとなる4大大会での銅メダルに貢献してベストスパイカー賞を獲得した。

VリーグMVP

 09-10年シーズンは史上初の天皇杯、V・プレミアリーグ、黒鷲旗の三冠に貢献。11/12V・プレミアリーグでは2年ぶりの優勝に貢献し、初のMVPを獲得した(2年ぶり2回目のベスト6賞も受賞)。なお10年に結婚し、11年に第一子が誕生している。

 12年のロンドン五輪世界最終予選ではチームの得点源として、通算107得点を挙げて大会ベストスコアラーランキング1位に輝いたが、日本は4位に終わってロンドン五輪出場はならず。

ブラジル移籍

 15-16年シーズンはレンタル移籍したブラジル・スーパーリーグのマリンガでプレー。

 16年は2年ぶりに全日本に復帰するもリオ五輪出場権獲得はならず。

史上初3度目の三冠に貢献

 17-18年シーズンはV・プレミアリーグで4季ぶりの優勝を果たし、天皇杯、黒鷲旗も制して6年ぶり3度目のシーズン三冠に貢献(3度の三冠は史上初)。18-19シーズンは新生V.LEAGUE初代王者に輝くとともにリーグ連覇を達成した。

フランスリーグでプレー

 19-20シーズンはフランス1部リーグ、パリ・バレーでプレー。チーム合流後ほぼ全試合でスタメン出場するも、新型コロナウイルス感染拡大の影響でシーズン終盤にリーグが中止となった。20-21シーズンもパリ・バレーでプレー。

現役引退

 21年度男子日本代表登録メンバーに選ばれていたが、東京オリンピック出場メンバー入りはならず、21年7月に現役引退を発表した。今後はパナソニックで社業に専念するという。

関連人物

大塚達宣 清水邦広 永野健 深津英臣
21年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2021/07/31

越川優(こしかわ ゆう)

バレーボール選手:ヴォレアス北海道所属。生年月日:1984年6月30日。石川県金沢市出身。岡谷工業高校卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長189cm、体重86㎏。血液型:A型。ニックネーム:ユウ。

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アニメ西田有志物語

バレー一家

 共に全国大会出場経験を持つ両親のもと、小学4年でバレーを始める。3歳上の姉・瞳美さんもシーガルズに所属した元Vリーガー。

初の現役高校生全日本入り

 アクエリアスカップでオリンピック有望選手を受賞するなど中学時代から注目を集め、名門・岡谷工業高校に進学すると、1年生でインターハイ優勝。2年生からはキャプテンを務めて春高、インターハイで準優勝し、3年生の時に男子バレー史上初の現役高校生での全日本入りを果たす。

サントリー入団

 男子選手の多くが大学を経てVリーグ入りする中、高卒でサントリーサンバーズに入団。1年目からレギュラー入りし、03-04年の第10回Vリーグで史上初の5連覇に貢献して新人賞を受賞。05年のアジア選手権ではベストスコアラー賞を獲得し、全日本男子10年ぶりの優勝に貢献。05-06年の第12回Vリーグでは敢闘賞、サーブ賞、ベスト6賞を受賞した。

プロ契約

 06年7月にサンバーズとプロ契約を結び、芸能プロダクション・ホリプロともマネージメント契約を締結。06/07V・プレミアリーグでは3シーズンぶりに優勝し、初のMVPを受賞した。

 08年北京五輪最終予選では4大会ぶりとなる出場権獲得に貢献し、北京五輪にも出場(5戦全敗の1次リーグ敗退)。

イタリア移籍

 09年7月にイタリア2部リーグ(セリエA2)のパドバに完全移籍。9月の開幕戦でスタメンフル出場し、チーム最多得点を挙げる活躍を見せたが、10月に左ひざを負傷し手術。10/11年のレギュラーシーズンは2位だったがプレーオフを勝ち抜き、セリエA1昇格。しかし11/12年シーズンは13位に終わってA2降格が決定した。

サントリー復帰

 12年5月の黒鷲旗限定でサンバーズに復帰すると、7月にサンバーズに入団。3年ぶりの復帰ながら、12/13V・プレミアリーグでは4年ぶり5回目のベスト6賞を受賞した(チームは4位)。

JT移籍と結婚

 13年7月にサントリーサンバーズを退団し、8月にJTサンダーズに入団。7月に結婚したことも明らかにした。

 13/14V・プレミアリーグは10年ぶりの準優勝に貢献し、敢闘賞、ベスト6賞、サーブ賞とともにVリーグ日本記録賞(最多得点、サーブ効果率)も受賞。14/15はJT創部84年目での悲願の初優勝に貢献し、8季ぶり2回目のMVPとベスト6を受賞した。

ビーチバレー転向と再婚

 17年5月の黒鷲旗で優勝し、MVPとベスト6を受賞。有終の美を飾って5月末でJTを退部、東京五輪を目指してビーチバレーに転向した。

 18年11月、自身のインスタグラムで同じくビーチバレー選手の石井美樹(湘南ベルマーレ)と再婚したことを発表した。

ヴォレアス北海道に入団

 20年8月、V.LEAGUE DIVISION2のヴォレアス北海道に入団し、3年ぶりにインドアに復帰。ビーチバレーも続け、二刀流で活動するという。

関連人物

石島雄介

LAST UP 2020/08/04

深津英臣(ふかつ ひでおみ)

バレーボール選手:パナソニックパンサーズ所属。生年月日:1990年6月1日。愛知県豊田市出身。東海大学卒業。身長181cm、体重74kg。血液型:A型。ポジション:セッター。ニックネーム:オミ。

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アニメ石川祐希物語

深津三兄弟の三男

 3人兄弟の三男として生まれる。3歳上の長兄・旭弘はJTサンダーズ広島のセッター、2歳上の次兄・貴之は豊田合成トレフェッサのアシスタントコーチで、バレー界では「深津三兄弟」として知られる。

中学3年でセッター転向

 子供の頃から運動神経抜群で、幼稚園の時に空手の全国大会で優勝。小学2年で二人の兄と一緒にバレーを始める。中学3年でJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)に愛知選抜として出場した際、それまでのアタッカーからセッターに転向した。これはセッターとして育成しようと考えていた星城高校監督が、愛知選抜の指導者に依頼して実現したものだと言う。

3兄弟でインカレ優勝

 星城高校時代はセッターとして2年生の時に春高準優勝、3年生の時はインターハイ、国体で優勝し、東海大学に進学。小学校から大学までずっと兄と同じ進路を歩み、09年の全日本インカレでは3兄弟そろっての優勝を果たした。

宇佐美大輔の後継者

 13年にパナソニックパンサーズに入団。引退した宇佐美大輔に代わるセッターとして期待を集めるとそれにたがわぬ活躍を見せ、入団直後の黒鷲旗では準優勝に貢献して若鷲賞を受賞。13/14シーズンのV・プレミアリーグでは2年ぶりの優勝に貢献し、最優秀新人賞とベスト6賞を受賞した。

キャプテンとしてリーグ2連覇

 18-19V.LEAGUE DIVISION1ではキャプテンとして連覇とともに新リーグ初代王者に導き、2年連続3回目のベスト6を受賞。19-20V.LEAGUE DIVISION1は惜しくも3連覇ならなかったが、準優勝に貢献し、3年連続4回目のベスト6を受賞した。

日本代表主将

 日本代表にも選ばれ、15年のアジア選手権で優勝し、ベストセッター賞を受賞。16年の世界最終予選で敗退し、リオ五輪出場はならず。17年度は日本代表の主将を務めた。現在20年度男子日本代表登録メンバーに選ばれている。

石川祐希への賛辞

 なお全日本のエースで、高校の後輩である石川祐希に対しては「今後石川のような選手は出てこない。『昔はもっとすごい選手がいた』と言われることもあるが、彼に勝る選手は絶対にいない」と最大級の賛辞を送っている。

関連人物

石川祐希 大塚達宣 清水邦広 関田誠大 永野健 山内晶大
20年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2020/07/22

鍋谷友理枝(なべや ゆりえ)

バレーボール選手:PFUブルーキャッツ所属。生年月日:1993年12月15日。東京都大田区出身。東九州龍谷高校卒業。身長176cm。ポジション:アウトサイドヒッター。ニックネーム:レイ。血液型:B型。

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アニメ髙橋藍物語

小学校3年生でバレーを始める

 ともに春高出場経験を持つ両親のもと、小学3年でバレーを始める。父親は元全日本選手・大竹秀之と法政二高の同級生で、その娘でデンソーのチームメイト・大竹里歩は幼なじみ。

中学時代

 両親の結婚が同じ年で誕生日もわずか8日違い、という縁もあって「同じチームでやらせたい」と父親同士が話し合い、大竹里歩と一緒に淑徳SC中等部に進学。3年生の時に全国中学校体育大会で8強入り。東京都代表として出場した全国都道府県対抗中学大会ではオリンピック有望選手を受賞した。

高校時代

 「日本一になりたい」と親元を離れて大分県の東九州龍谷高校に進学。全国屈指の名門・東龍で1年生からレギュラー入りし、同年の全日本選手権ではV・プレミアリーグのNEC、パイオニアを破る偉業を成し遂げ4強入り。3年連続インターハイ・国体・春高に出場して全てでベスト4以上に進み、6度優勝。3年生の時は主将も務めて春高MVPを受賞するなど、高校バレー界を代表するエースアタッカーとして活躍した。

デンソー入団

 11年12月に大竹とともにV・プレミアリーグのデンソー入団が決定し、内定選手として12年3月にプレミアデビュー。13年には第1回世界U-23女子選手権で銅メダル獲得に貢献し、15年はワールドグランプリ、ワールドカップに出場。

リオ五輪出場

 16年はリオ五輪世界最終予選で出場権獲得に貢献し、リオオリンピックにも出場(準々決勝敗退)。
 17年の黒鷲旗ではデンソーの優勝に貢献し、ベスト6を初受賞。18-19シーズンはデンソーのゲームキャプテンを務め、19-20シーズンからキャプテンに就任した。

目の保護のためゴーグルを着用

 19年9月のワールドカップではゴーグルを着用してプレーする姿が話題になった。4月の合宿中に右目にボールが直撃し、網膜振盪症で全治1か月の診断を受けたことによる保護のため。

 着用していたのはスポーツアイウェアブランド【 SWANS 】のアイガードで、20年5月、【 SWANS 】とアドバイザリースタッフ契約を結んだ。

PFU移籍

 東京五輪代表からは外れ、二大会連続の五輪出場はならず。21年7月にデンソーを退団、8月にPFUブルーキャッツに入団した。

ジャニーズ

 プライベートでは熱心なジャニーズのファンとして知られ、現在は【 Snow Man 】の「いわなべ推し」だという。

関連人物

大竹里歩 田代佳奈美 中田久美
2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/10/20