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話題の人物のプロフィール、生い立ちを有名人、芸能、スポーツ選手などジャンルにとらわれずに紹介しています

山口舞(やまぐち まい)

元バレーボール選手。生年月日:1983年7月3日。三重県志摩郡志摩町(現志摩市)出身。大阪国際滝井高校卒業。ポジション:ミドルブロッカー、ウイングスパイカー。身長176cm。血液型:O型。ニックネーム:ユメ、パール。

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アニメ髙橋藍物語

志摩半島の最南端に生まる

 三重県志摩半島の最南端・志摩町(現志摩市)に生まる。土地柄よく海で泳ぎ、新鮮な魚を食べて育ったという。

日本一を目指したい

 友達に誘われ小学4年でバレーボールを始める。中学3年の県大会で3位に入って強豪校から誘われ、「日本一を目指したい」と名門・大阪国際滝井高校に進学。寮生活を送り、1年生の時に全国私立高校選手権で優勝。インターハイではベスト8に入り、02年にシーガルズ(現岡山シーガルズ)に入団。

シーガルズ

 3年目からレギュラー入りして06年の国体5連覇、07/08V・プレミアリーグでのチーム初のセミファイナル進出に貢献。10/11V・プレミアリーグで通算230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞すると、11/12は2度目のセミファイナル進出を果たし、初のベスト6賞を受賞した。

グラチャンでブレーク

 全日本は09年に初選出。全日本デビューとなったワールドグランプリは出場機会が少なかったが、怪我の狩野舞子に代わって緊急招集されたグラチャンで大ブレーク。チームでのセンターではなく、ライトでの起用だったものの持ち前のスピードで相手を翻弄して4位に貢献、荒木絵里香とのコンビプレーはブラジル監督からも称賛された。

ロンドン五輪銅メダル

 翌10年の世界選手権では銅メダル獲得に貢献し、11年のワールドカップは4位。12年ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得した。

 13年からはシーガルズのキャプテンを務め、13/14V・プレミアリーグではチーム史上最高となる2位に貢献し、2回目のベスト6賞を受賞。

リーグ記録

 18-19シーズンには杉山祥子(元NEC)が持っていたリーグ通算出場セット数記録1303を更新して1317まで伸ばす。通算出場試合数も櫻井由香(元デンソー)のリーグ記録381試合に並んだが、19年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退した。

現在

 19年7月、学校法人中国学園 中国学園大学・中国短期大学の広報担当(主任)に就任した。今後は大学職員の業務をしながら岡山のスポーツ界の発展にも努めるという。

関連人物

荒木絵里香 狩野舞子 宮下遥

LAST UP 2020/07/20

座安琴希(ざやす ことき)

元バレーボール選手。久光スプリングスコーチ。生年月日:1990年1月11日。沖縄県出身。中部商業高校卒業。ポジション:リベロ。身長159cm。血液型:A型。ニックネーム:コトキ。

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3姉妹でバレー

 沖縄県うるま市に3姉妹の次女として生まれる。姉・妹とも1歳違い。小学3年でバレーを始めるとセッターに抜擢され、スパイカーの姉、リベロの妹と練習に打ち込む。高江洲中学時代は部員が少なく、3姉妹で中心選手として活躍した。

リベロ転向

 高校時代はキャプテンも務め、春高やインターハイに出場。久光製薬から誘われるもセッターではなく、わずかな経験しかないリベロとしてだったため初めは断ったが、座安のプレーを買っていた当時の監督・眞鍋政義(前全日本女子監督)の意向もあって熱心に勧誘され、08年に入団。

佐野優子の影響を受け

 同じチームのリベロ・佐野優子の影響を受けながら練習に明け暮れ、佐野の海外移籍により、10/11シーズンからスタメンに定着。セッター経験を生かした、トスを上げられるリベロとして活躍し、11/12V・プレミアリーグではベストリベロ賞、サーブレシーブ賞を初受賞した。

 全日本には11年に初選出されるも、ワールドカップは出場機会が少なく、ロンドン五輪出場もならず。

史上初のシーズン3冠に貢献

 12/13は中田久美新監督のもと女子史上初のシーズン3冠(全日本選手権、プレミアリーグ、黒鷲旗)に貢献し、2年連続のV・プレミアリーグ・ベストリベロ賞、サーブレシーブ賞を受賞。黒鷲旗でもベストリベロ賞を初受賞した。

リオ五輪出場

 14/15、15/16シーズンは久光製薬のキャプテンを務める。16年のリオ五輪世界最終予選ではレシーバーとして出場権獲得に貢献し、オリンピックにも出場した(日本は5位)。

フランス移籍

 16年9月から17年6月までフランスの名門・RCカンヌでプレーし、ベストリベロ賞を獲得。久光製薬に復帰した17/18V・プレミアリーグはレギュラーラウンドで21戦全勝を飾り、2年ぶり6度目の優勝。18-19V.LEAGUE DIVISION1も連覇し、新リーグ初代王者に輝いた。

 久光製薬スプリングスは20/21シーズンからチーム名を『久光スプリングス』に変更した。

現役引退

 21年6月30日付で現役を引退。久光スプリングスコーチに就任した。

関連人物

石井優希 岩坂名奈 佐野優子 中田久美

LAST UP 2021/07/27

石井優希(いしい ゆき)

バレーボール選手:久光スプリングス所属。生年月日:1991年5月8日。岡山県倉敷市出身。就実高校卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長180㎝。血液型:A型。ニックネーム:ユキ。

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「頑張ったら日本代表に」

 ママさんバレーをしていた母親の影響で、小学2年でバレーを始める。アタッカーとして活躍し、小・中学生時代は年子の姉と一緒にプレー。セッターだった姉のトスを打つのが好きだったという。

 岡山県選抜として出場した中学3年のJOC杯(都道府県対抗中学大会)で優秀選手に選出。県選抜の監督から「頑張ったら日本代表になれる」と言われたことが励みになる。

就実高校で2度春高に

 強豪・就実高校に進学すると自宅から通える距離ながら、あえて寮に入って厳しい環境に身を置き、春高に2度出場(1年生ベスト16、2年生2回戦。当時は3月開催だったため3年次は出場不可)。

VリーグMVP

 高校在学中の10年1月に久光製薬の入団内定選手となり、11月のV・プレミアリーグ開幕第2戦でデビュー。13/14V・プレミアリーグでサーブ賞を受賞。

 16/17シーズンは準優勝に貢献して敢闘賞を受賞。17/18シーズンは2年ぶり6回目の優勝に貢献しMVPを獲得、レシーブ賞、ベスト6も受賞した。

キャプテンに就任

 18-19V.LEAGUE DIVISION1でも活躍して連覇に貢献、チームを新リーグ初代王者に導いた。岩坂名奈に代わり、19-20シーズンから久光製薬のキャプテンを務める。

 久光製薬スプリングスは20/21シーズンからチーム名を『久光スプリングス』に変更。20-21V.LEAGUE DIVISION1ではVリーグ通算230試合出場を達成し、Vリーグ栄誉賞を受賞。

 21-22シーズンから戸江真奈がキャプテンを務める。

日本代表

 日本代表には11年に初選出される。12年ロンドン五輪出場はならなかったが、13年から代表に定着し、16年はリオデジャネイロ五輪に出場した(日本は5位)。

東京オリンピック

 自身2度目の五輪となった21年東京オリンピックは1次リーグ敗退だった。

関連人物

岩坂名奈 大竹里歩 座安琴希
2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/08/21

岩坂名奈(いわさか なな)

元バレーボール選手。生年月日:1990年7月3日。福岡県福岡市出身。東九州龍谷高校卒業。ポジション:ミドルブロッカー。身長187㎝。血液型:O型。ニックネーム:ナナ。

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アニメ山内晶大物語

身長がコンプレックス

 子供の頃から飛び抜けて背が高かったがそれがコンプレックスで、外出が嫌だったり猫背になったりしていたという。

タモリは中学の先輩

 福岡市立高宮中学校入学後バスケ部に入るつもりが練習見学に行った日が休みで、そのタイミングで友達に誘われたバレー部に入部。バレーを始めてから長身は武器だと胸を張れるようになったという。

 なお同校はタモリ、高橋真梨子、森口博子、氷川きよしら多くの著名人を輩出している。

名門東龍で全国優勝

 中学時代は無名だったが、長身を買われて全国屈指の強豪・東九州龍谷高校に進学すると1年生からレギュラー入りして春高準優勝。2年生の春高では決勝で田代佳奈美擁する古川学園をストレートで破って優勝した。高校時代はインターハイ優勝も飾り、日本代表として出場したアジアユース選手権、アジアジュニア選手権でも優勝している。

久光製薬入団

 卒業後は久光製薬で活躍し、13/14、15/16V・プレミアリーグでベスト6を受賞。18/19シーズンはキャプテンを務めてリーグ連覇を達成、V.LEAGUE DIVISION1初代王者に輝いた。

 久光製薬スプリングスは20/21シーズンからチーム名を『久光スプリングス』に変更した。

日本代表

 日本代表には09年度の登録メンバーに初選出される。11年のモントルーバレーマスターズで日本の初優勝に貢献し、ベストサーバー賞を受賞。

 12年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪出場はならなかったが、新たに就任した中田久美監督のもと、17年にキャプテンに指名される。同年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献し、セカンドベストミドルブロッカー賞を受賞した。

東京オリンピックに向けて

 2020年度日本代表登録メンバーに選ばれたが、3シーズン務めたキャプテンは荒木絵里香に代わった。

現役引退

 20-21V.LEAGUE DIVISION1でVリーグ栄誉賞を受賞。21年6月30日付で現役を引退した。

関連人物

石井優希  座安琴希

LAST UP 2021/07/27

古賀太一郎(こが たいちろう)

プロバレーボール選手:FC東京コーチ兼選手。1989年10月4日生、長崎県佐世保市出身。国際武道大学卒業。ポジション:リベロ。身長170cm、体重70kg。血液型:A型。背番号10。

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兄もVリーガー

  4人きょうだいの末っ子として生まれる。5歳上の兄・幸一郎もウルフドッグス名古屋でキャプテンを務めるバレー選手で、ポジションも同じリベロ。

部員が二人のバレー部

 幸一郎の影響で小学生でバレーを始める。中学校でもバレー部に入部したが部員が二人しかおらず、試合の時は人数合わせで他の部に応援を頼み、吹奏楽部に出場してもらうこともあったほどで目立った成績は残せず。

兄のおかげで強豪に

 県内の強豪・佐世保南高校に進学。中学時代は無名ながら強豪に入れたのは「古賀幸一郎の弟」という兄の名前のおかげだという(幸一郎は佐世保北高校出身)。高校ではスパイクにトスにレシーブにマルチプレーヤーとして活躍し、兄と同じ国際武道大学に進学。

出場機会を求めて海外移籍

 大学でリベロとなり、12年にVリーグ・豊田合成トレフェルサ(現ウルフドッグス名古屋)に入団。13年にユニバーシアード代表に選ばれ銅メダルを獲得するも、豊田合成は兄が不動のレギュラーだったため出場機会を得られず、15年にフィンランドリーグのコッコラ・ティーケリに移籍。

最高峰ポーランドリーグ移籍

 MVPを獲得した活躍を認められ、翌年フランス1部リーグ、パリ・バレーに移籍。17年には世界のトップリーグの1つであるポーランドリーグ1部のザヴィエルチェに移籍した。日本選手が同リーグでプレーするのは初めて。

5年連続海外でプレー

 プロ選手として所属するウルフドッグスのサポートを受けてプレーし、ザヴィエルチェでは1年目にオールスター出場し、19-20も同チームでプレー。

コーチ兼選手としてFC東京移籍

 20年7月、ウルフドッグス名古屋を退団し、コーチ兼選手としてFC東京に移籍加入することが発表された。5シーズンぶりの日本でのプレーとなる。

 20年度男子日本代表登録メンバーにも選ばれている。

関連人物

20年度男子日本代表登録メンバー

LAST UP 2020/07/04

佐藤美弥(さとう みや)

元バレーボール選手。生年月日:1990年3月7日。秋田県秋田市出身。嘉悦大学卒業。身長175cm。ポジション:セッター。ニックネーム:ミイ

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江畑幸子は幼稚園の同級生

 秋田県秋田市に3人兄妹の末っ子として生まれる。後のチームメイト・江畑幸子(現PFU)は幼稚園の同級生。

6年生でセッター

 友達に誘われ、小学4年でバレーを始める。水泳とピアノをやめてバレーに専念し、6年生でセッターに抜擢。所属していた「港北スポーツ少年団」の指導は厳しく、泣きながらトスをあげたこともあったという。

高校時代は地元国体3位

 地元秋田の強豪・聖霊女子短期大学付属高校に進学。チームメイトとなった江畑とともに活躍して、3年生の時に地元・秋田で開かれた国体で3位。高校限りでバレーをやめるつもりだったが、菅原貞敬(元日立監督)に「東京の大学へ行ってバレーを続けなさい」と勧められ嘉悦大学に進学。

日立リヴァーレ入団

 大学では主将も務め、東西インカレで優勝して、MVPを受賞。10年には全日本メンバーに登録され、卒業後当時V・チャレンジリーグだった日立リヴァーレに入団、再び江畑とチームメイトとなる。

Vリーグ

 12/13シーズンでチームのV・プレミアリーグ昇格に貢献。15/16V・プレミアリーグではチーム初のファイナル進出に貢献し、敢闘賞とベスト6を初受賞。16年はリオ五輪に向けた全日本合宿に参加したが、メンバーには選ばれなかった。

 長身のセッターとして活躍し、かつては日立の主将を担当。日本代表でも活躍し、17年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献した。

現役引退

 20年8月の日本代表の紅白戦で右アキレス腱を損傷。治療・リハビリに努めるもVリーグ開幕戦で再び同じ箇所を負傷。持病の腰痛も悪化して目標にしていた東京オリンピック出場を断念。21年5月に現役引退を発表した。

セッター婚

 21年9月、男子日本代表のセッター・藤井直伸と結婚したことを発表した。

関連人物

栗原恵 中田久美 藤井直伸

LAST UP 2021/09/29

三屋裕子(みつや ゆうこ)

日本バスケットボール協会(JBA)会長。元バレーボール日本代表。1958年7月29日生、福井県出身。筑波大学卒業。同大学院修士課程体育研究科修了。身長177cm。

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高身長で注目を集める

 子供の頃は身体が弱く家にこもりがちだったが、小学4年から急激に身長が伸び始め、小学校卒業時に170cmに到達。中学入学後バドミントン部に入部するも、コンプレックスだった長身を生かせるバレー部に移籍した。

バレーボールブームで

 当時は【 サインはV 】【 アタックNo.1 】の影響で100人を超える部員がいたが、1年夏からレギュラー入り。3年夏には全国大会に出場、1回戦敗退も大会最長身選手として注目された。中学時代は陸上部にも所属し、走り高跳び、走り幅跳びで好成績を残している。

名門八王子実践に進学するも

 多くの強豪校、実業団から誘われ、前年に史上初の高校3冠を達成した名門・八王子実践高校に進学。入学後すぐにレギュラー入りしたが、直後に右肩を故障。慣れない寮生活や厳しい練習で精神的にもボロボロになった上、心臓も患い、練習はおろか通学さえままならないほど衰弱した失意の1年を送る。

モスクワ五輪ボイコット

 その後立ち直ると教師を目指して勉強にも励み、筑波大学に進学。大学時代にレフトからセンターに転向し79年、大学3年で全日本に初選出。 80年モスクワ五輪は金メダル候補だったが、日本がボイコットした。

日立黄金時代

 81年に大学を卒業して日立に入社し、日本リーグ6連覇、88連勝を達成した日立黄金時代の一員として活躍し、第17回日本リーグではスパイク決定率57.4%を記録。日本代表としても84年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した。

教員採用試験に合格

 82年に東京都教員採用試験に合格。ロサンゼルス五輪を最後に現役を引退し、同年9月に國學院高校に体育教師として着任。85年4月からは学習院大学に移る。その後退職し、筑波大学大学院で学ぶ傍らスポーツキャスターとしても活躍、89年にはベストジーニストに選ばれた。

シャルレ社長に

 04年6月、株式会社シャルレ代表取締役社長に就任。同社は06年に商号を株式会社テン・アローズに変更。07年6月の株主総会で社長職を解任された。

日本バスケットボール協会会長

 Jリーグ理事や日本バレーボール協会理事などを歴任し、16年6月に日本バスケットボール協会会長に就任。現在スポーツや教育など様々な分野で活躍している。

 20年6月、日本バスケットボール協会会長に再任された。3期目となる。任期は21年9月まで。

関連人物

大林素子 中田久美

LAST UP 2020/06/28

峯村沙紀(みねむら さき)

NECグリーンロケッツ副務。元バレーボール選手。1990年4月18日生、長野県出身。九州文化学園高校卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長178cm。ニックネーム:サキ。

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強豪チームでバレーを始める

 小学2年の時、かつて西堀健実(ビーチバレー選手)も所属した「小布施スポーツ少年団」でバレーボールを始める。6年生の時に全日本小学生大会で優勝し、裾花中学時代はチームメイトの田代佳奈美らと2年、3年と全日本中学校選手権を連覇し、2大会とも優秀選手賞を受賞。3年生はJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)でも優勝してJOC・JVAカップ、オリンピック有望選手、大阪府知事賞を受賞した。

小中高すべてで全国制覇

 九州文化学園高校では入学直後からレギュラー入りし、1年生で国体、2年生でインターハイを制して小・中・高全てで全国優勝を達成。春高は07年がベスト16、08年はベスト8に終わって優勝はならなかったが、08年のアジアジュニア選手権では日本の優勝に貢献。将来の全日本エース候補として期待され、09年4月に東レに入団すると同年度の全日本登録メンバーに初選出された。

黄金時代の東レに入団するも

 しかし当時東レは荒木絵里香木村沙織、高田ありさらを擁しリーグ3連覇を達成した黄金時代で出場機会に恵まれず。荒木木村ら全日本メンバーを欠き、若手主体で臨んだ12年5月の黒鷲旗では準優勝に貢献し、敢闘賞とベスト6を初受賞した。

NECに移籍

 13年9月に前十字靭帯断裂の怪我を負いながらも復帰し、15/16、16/17シーズンは東レのキャプテンを務めたが17年6月に膝を手術、17/18シーズンは出場ゼロに終わる。新天地を求めて18年6月に東レを退団、8月にNECレッドロケッツに入団した。

現役引退、ラグビー界入り

 19-20シーズンをもって現役を引退。20年6月、NECラグビーフットボール部(NECグリーンロケッツ)副務に就任した。

バレー一家

 父・保さんは元長野日大高校バレー部監督。兄・幸太は日体大で全日本インカレ優勝を経験した、元VC長野トライデンツ選手兼コーチ。弟・雄大も中学時代にJOC杯でオリンピック有望選手に選ばれ、高校でも全日本ジュニアオールスタードリームマッチに出場、日体大で主将を務め、現在は東レアローズ(男子)に所属するなどバレー一家として知られる。

関連人物

荒木絵里香 木村沙織 田代佳奈美

LAST UP 2020/06/06

荻野正二(おぎの まさじ)

サントリーサンバーズアンバサダー。1970年1月8日生、福井県出身。福井工業大学附属福井高校卒業。身長197cm、体重98kg。現役時代のポジションはウイングスパイカー。ニックネーム:オギ。

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長身から素人ながら強豪校へ

 子供の頃はソフトボールや剣道、柔道を習い、中学時代は野球に打ち込むなどバレーとは無縁の人生を送っていたが、中学3年で190cmを超えた長身を買われ、地元のバレー強豪校・福井工大福井高校から誘われて進学。

高卒でサントリー入団

 素人ながら強豪校に加わったためひたすら猛練習に励み、2年生になると注目される選手に成長して実業団の強豪・サントリーに入団。男子選手の多くが大学を経て実業団入りする中、高卒で入団したため周りの大卒選手に負けじと人並みはずれた練習量をこなして実力を付け、サーブ賞、レシーブ賞、ベスト6など多くの賞を受賞。04年には史上初のVリーグ5連覇を達成した。

バルセロナ五輪

 全日本には19歳の時に初召集。以降全日本に定着し、92年バルセロナ五輪にも出場(6位入賞)。しかしアトランタ五輪は最終予選で敗退し出場を逃した。

16年ぶりの五輪を決めたスパイク

 98年世界選手権を最後に全日本から遠ざかっていたが、05年に就任した植田辰哉監督のもとで7年ぶりに召集されると、女子の主将としてチームを支えた吉原知子のような存在になることを期待されて主将に就任。期待通り精神的支柱として活躍し、北京五輪最終予選では16年ぶりとなる出場権を獲得。出場が決定したアルゼンチン戦では最後のポイントを自らのスパイクで決めた。自身2度目の五輪となった北京オリンピックは5戦全敗で1次リーグ敗退だった。

サントリー監督として

 2009/10V・プレミアリーグ限りで現役を引退。スタッフとしてサントリーに残って後進の育成に当たり、母校の福井高校を運営する金井学園の特別コーチも務めていたが、10年8月にサントリーサンバーズのヘッドコーチに就任。それまでの攻撃型から守備型へチームを変えるなど積極的に強化に乗り出し、同年12月の天皇杯(全日本選手権)では10年ぶりの優勝を飾った。

 13年からサントリーのアドバイザーとなり、15年には1年間ブラジルにコーチ留学。17年10月、6季ぶりに監督に復帰した。

アンバサダーに

 19-20シーズン限りで監督を退任(後任は山村宏太)。新たにアンバサダーに就任、普及活動などに取り組むという。

関連人物

植田辰哉 津曲勝利 山村宏太 吉原知子

LAST UP 2020/0601

山村宏太(やまむら こうた)

サントリーサンバーズ監督。生年月日:1980年10月20日。東京都出身。筑波大学卒業。身長205cm、体重97kg。ポジション:ミドルブロッカー。ニックネーム:ヤマコフ205。

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アニメ小野寺太志物語

身長55cm、体重4300gの巨大児

 父親の赴任先の米国・カリフォルニアで身長55cm、体重4300gの巨大児として生まれる。2歳で帰国。小学3年でバレーを始め、中学校でもバレー部に入部したが、弱小校だったため目立った活躍はできず。漫画【 ブラック・ジャック 】の影響で医者に憧れて勉強に励み、進学校の錦城高校に入学した。

長身から高校選抜に

 高校ではバレーをやらないつもりだったものの、すでに190cmを超えた長身ゆえ熱心に誘われてバレー部に入部。強豪校ではなく、3年間で都大会ベスト8が最高だったが、長身が関係者の目に留まって2年生の時に高校選抜の選考合宿に参加。3年生で高校選抜に選ばれ中国遠征にも参加した。

4年連続インカレ優勝

 推薦で筑波大学に進学し、入学直後からレギュラー入り。4年生の時は主将も務め、同期の朝長孝介らと、4年連続で全日本インカレを制して同大の6連覇に貢献。02年に全日本に初選出された。

北京五輪出場

 03年にサントリー入社。以降サントリー、全日本で活躍。04年のアテネ五輪は最終予選敗退に終わったが、05年のアジア選手権では10年ぶりの優勝に貢献。07/08V・プレミアリーグでベスト6賞を初受賞すると、08年の世界最終予選で16年ぶりとなる五輪出場権を獲得。北京オリンピックにも出場したが、5戦全敗で1次リーグ敗退に終わった。

 08/09V・プレミアリーグでは2年連続のベスト6賞とスパイク賞を初受賞。10年の世界選手権では欠場の宇佐美大輔に代わってキャプテンを務めた。

通算出場試合数新記録

 11/12V・プレミアリーグでは通算230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞。16年10月に通算出場試合数が332となり、Vリーグ男子の新記録を樹立した。

現役引退、監督就任

 17年5月の黒鷲旗限りで現役を引退し、サンバーズのコーチに就任。20年6月、荻野正二の後任としてサンバーズ監督昇格が発表された。なお07年に結婚した妻とは身長差が52cmもあるという。

就任1年目V

 20-21V.LEAGUE DIVISION1では監督就任1年目にして14季ぶり8度目の優勝に導き、優勝監督賞と松平康隆賞を受賞した。いずれも初受賞。

関連人物

荻野正二 津曲勝利 朝長孝介

LAST UP 2021/09/18