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宇津木妙子(うつぎ たえこ)

ソフトボール指導者。元ソフトボール日本代表監督。生年月日:1953年4月6日。埼玉県出身。星野女子高校卒業。身長158㎝。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

中学でソフトボールと出合う

 5人兄妹の末っ子として生まれる。中学入学後陸上部に入部したが、仲のいい友達がいたソフトボール部にも入部するとのめり込み、県の強化合宿にも参加。星野女子高校時代は大学出たての新米顧問・星野昭の熱血スパルタ指導で実力を伸ばして一躍全国大会常連となり、3年生の時にキャプテンとして国体準優勝。

ユニチカを常勝チームへ

 卒業後当時リーグ最下位だった実業団「ユニチカ垂井(たるい)」に入部。1年目からレギュラーになり、3年目には日本代表に選ばれ74年に世界選手権準優勝。4年目にユニチカのキャプテンに就任するとチームの再建に乗り出し、プレーはもちろん不条理な上下関係も正して弱小チームを優勝常連へと導き、77、78年に日本リーグを連覇した。当時ユニチカの寮が火事に見舞われたことがあったが、他の選手が財布や通帳を持って逃げる中、自分だけバットとグローブを抱えて来たという。

日立高崎を常勝チームに

 84年に現役を引退。ジュニア日本代表コーチを経て85年に当時3部リーグだった「日立高崎(現ビックカメラ女子ソフトボール高崎)」の監督に就任。その後は公私にわたる指導でチームを鍛え、88年に1部リーグに昇格。90年に日本リーグ優勝を果たすと、97年には日本リーグ、全日本総合、国体の三冠を制すなど常勝チームに育て上げた。なお99年に日立高崎に勤務する12歳年下の同僚と結婚している。

日本代表監督に就任

 一方で90年に日本代表監督に就任し、北京アジア大会で銀メダルを獲得したが女性監督に対する批判などもあり1年で退任。オリンピック正式種目となった96年のアトランタ五輪で日本代表コーチを務め、翌年監督復帰すると2000年のシドニー五輪で銀、04年のアテネ五輪で銅メダルを獲得し、アテネ後代表監督を退任した。

 日立高崎では03年に監督職を宇津木麗華に譲り、総監督として指導を続けていたが09年に退任し、東京国際大学人間社会学部特命教授及び同大女子ソフトボール部総監督に就任。

国際ソフトボール連盟殿堂入り

 05年には日本人指導者として初めて国際ソフトボール連盟の殿堂入りを果たした。

現在

 現在はNPO法人ソフトボール・ドリーム理事長、ビックカメラ女子ソフトボール高崎シニアアドバイザー、東京国際大学女子ソフトボール部総監督、一般社団法人日本女子ソフトボールリーグ機構副会長兼キャプテンなどを務めている。

LAST UP 2021/07/21