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田中マルクス闘莉王(たなか まるくす とぅーりお)

元プロサッカー選手。ポジション:DF。1981年4月24日生、ブラジル・サンパウロ出身。渋谷教育学園幕張高校卒業。身長184cm、体重87kg。旧名:マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ。

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日本に留学

 日系二世の父とイタリア系ブラジル人の母の間に生まれる。ブラジル・サンパウロという土地柄当たり前のようにサッカーを始めると、持ち前の運動神経と負けん気の強さでみるみる上達。中学時代は父親の教育方針により会計事務所で働きながら夜間学校に通い、バレーボール部にも所属していたためあまりプレー出来なかったが、高校進学後ミラソウFCのユースチームで再びサッカーに打ち込むと、選手発掘のためブラジルを訪れた渋谷幕張高校サッカー部監督・宗像マルコス望にスカウトされて98年3月に来日し、同校に入学。

全国高校サッカー選手権出場

 初めは全く日本語が話せなかったため慣れるのに苦労したが、それでもサッカー部ではすぐにレギュラー入り。ブラジル時代の攻撃的なポジションからセンターバックへコンバートされたが闘志溢れるプレーとリーダーシップでチームを引っ張り、3年生の時に同校初の全国高校サッカー選手権出場を果たした。

日本に帰化

 01年に高校を卒業してサンフレッチェ広島に入団すると開幕戦でいきなりゴールを決めてJリーグデビューを飾る。03年にはJ2・水戸ホーリーホックにレンタル移籍し、同年10月に日本に帰化。04年にJ1・浦和レッズに移籍するとU-23日本代表にも選ばれ、アテネオリンピックにも出場した。

JリーグMVP

 06年にはチーム初のJリーグ年間優勝を果たし、MVPを受賞。同年からはA代表にも選出され、その後は浦和レッズ、日本代表で守備の要としてはもちろん高い得点力でもチームに貢献し、10年1月に名古屋グランパスに完全移籍した。

南アW杯4試合フル出場

 同年の南アフリカワールドカップでは4試合全てにフル出場して予選リーグ突破に貢献し、Jリーグでも名古屋の初優勝に貢献。11年はわずか勝ち点差1の2位に終わって惜しくも連覇はならなかったが、8年連続となるベストイレブンに選ばれた。

名古屋を退団、復帰するも

 12年には9年連続となるベストイレブンに選出。14、15年と2シーズン連続でキャプテンを務めたが、16年1月に名古屋を退団。ブラジルに戻ったが、8月に名古屋に復帰。しかしチームはJ2に降格、アドバイザー就任打診という事実上の引退勧告を受け、再び11月に退団した。

京都に加入

 17年1月にJ2・京都サンガに加入。19年12月、現役引退を発表した。

LAST UP 2020/02/09