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上野由岐子(うえの ゆきこ)

ビックカメラ女子ソフトボール高崎ピッチングコーチ兼投手。生年月日:1982年7月22日。福岡県出身。 九州女子高校(現福岡大学附属若葉高校)卒業。身長174cm。

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有森裕子が五輪メダルを取れた理由は?

小学3年でソフトボールを始める

 少年チームの監督に誘われ、小学3年でソフトボールを始める。チーム練習のほか自宅でも父親相手に練習に励むと、生まれつきの大きな身体と抜群の運動神経でメキメキ上達し、中学3年の全国大会で優勝。

高校の体育で腰椎を骨折し入院

 高校2年の時に世界ジュニア選手権で優勝し、この頃初めて上野の剛速球を見て衝撃を受けた当時の日本代表監督・宇津木妙子は翌年のシドニー五輪代表選出も考えたというが、直後に体育の授業の走り高跳びで地面に落下して腰椎を骨折し3ヶ月入院。代表入りは消え、一時は選手生命も危ぶまれたが順調に回復し、3年生の国体で優勝。

史上初の2試合連続完全試合

 01年に宇津木妙子率いる日立高崎(現ビックカメラ高崎)入部。1年目に史上初の2試合連続完全試合を達成して新人王を受賞すると、その後も常勝チームのエースとして活躍しMVP、最多勝、最優秀投手賞など数々のタイトルを獲得。

五輪史上初の完全試合

 01年から日本代表に選出され、02年の世界選手権中国戦では完全試合を達成。04年アテネ五輪でも中国戦で五輪史上初の完全試合を成し遂げたが、日本は銅メダルに終わった。

北京五輪で悲願の金メダル

 ソフトボールの実施が最後となる08年北京五輪でも絶対的なエースとして活躍。1日2試合、21イニング318球を投げ抜く気迫の投球を見せると翌日の決勝・アメリカ戦も一人で投げ抜き、2日で計413球の熱投で見事悲願の金メダルを獲得した。

 08年の日本リーグでは決勝でノーヒットノーランを達成して3年ぶりの優勝を飾り、同年は五輪、国体、全日本総合と合わせて4冠を達成。日本リーグではMVP、最優秀投手賞、最多勝、ベストナインの個人タイトル4冠を獲得し、『上野の413球』で流行語大賞の審査員特別賞も受賞した。

史上初のリーグ通算200勝

 09年からはピッチングコーチを兼任し、08、09年に史上初の2年連続三冠(日本リーグ、全日本総合、国体)を達成。

 12年世界選手権では決勝トーナメントを一人で投げ抜く熱投で、42年ぶりの優勝に導く。13年には史上最多となる日本リーグ通算173勝を達成。14年世界選手権では連覇に貢献。16年には史上初のリーグ通算200勝を達成した。

 世界最速といわれる121キロも記録した速球を武器に「オリエンタル・エクスプレス」の異名をとり、06年世界選手権・ギリシャ戦では相手打者の金属バットをへし折った。

下顎骨骨折から復帰

 19年4月、日本リーグの試合中に打球を受けて救急搬送され、下顎骨骨折の診断で緊急手術を受ける。全治3か月。同年8月のジャパンカップで4か月ぶりの実戦復帰を果たした。

東京オリンピック

 北京以来3大会ぶりにソフトボールが実施された21年東京オリンピックでもエースとして活躍。1次リーグのカナダ戦では相手打者の金属バットをへし折り、アメリカとの決勝戦では胴上げ投手となり13年越しの連覇を果たした。

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LAST UP 2021/09/01