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宇津木麗華(うつぎ れいか)

ソフトボール女子日本代表監督。生年月日:1963年6月1日。中国・北京出身。中国名:任彦麗(にん えんり)。群馬女子短期大学(現・高崎健康福祉大学短期大学部)卒業。

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宇津木妙子を見て三塁手に

 中国・河北省で生まれる。子供の頃から運動神経抜群で、小学4年でやり投げを始めるとみるみる上達。北京のジュニアトップレベルになったが、肩の強さを買われて14歳でソフトボールに転向。あまり乗り気ではなかったもののソフトボールチーム監督の熱意におされて始めてみると、15歳の時に見た中国対日本戦の宇津木妙子のプレーに感動して同じ三塁手になった。

憧れの宇津木と出会い

 17歳の時、中国ジュニア代表キャプテンとして参加した日本遠征で日本ジュニア代表コーチだった宇津木妙子と出会う。憧れの宇津木に片言の日本語で夢中で話しかけたことで交流が始まり、その後も手紙や電話で親交を深めると、87年に中国代表主将としてアジア選手権で優勝したのを機に翌年来日し、宇津木が監督を務める「日立高崎(現・ビックカメラ女子ソフトボール高崎)」に入団した。

日本に帰化も養女ではない

 その後は宇津木の家に住み、短大に通いながらチームの主砲として活躍して、94年に日本リーグ三冠王を獲得。95年に日本に帰化して「宇津木麗華」となり、翌年アトランタ五輪日本代表に選出。しかし中国側が出場を認めなかったため、ルールにより五輪に出場できなかった。なお「宇津木」姓は宇津木妙子からとったものだが、養子縁組はしておらず養女ではない。

シドニー銀、アテネ銅

 五輪初出場となった2000年シドニーオリンピックでは銀メダルを獲得。03年に日立高崎の選手兼任監督となると04年アテネオリンピックでは銅メダルを獲得、五輪後に現役を引退して監督専任となった。

史上初の2年連続三冠

 その後は監督業に努め、08、09年には史上初の2年連続三冠(日本リーグ、全日本総合、国体)を達成。11年2月、斎藤春香の後任としてソフトボール女子日本代表監督に就任すると、12年の世界選手権で42年ぶりに優勝。14年に連覇を達成した。

東京五輪金メダルを目指して

 15年11月に一度退任したが、16年11月日本代表監督に復帰。3大会ぶりに五輪に復帰した東京オリンピックで2大会連続となる金メダルを目指す。監督就任に伴い、ビックカメラ女子ソフトボール高崎監督を退任している。

東京オリンピック金メダル

 21年の東京オリンピックでは決勝でアメリカを破り、13年越しの連覇を達成した。

関連人物

上野由岐子 宇津木妙子

関連項目

東京オリンピック特集

LAST UP 2021/07/28