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塚原直也(つかはら なおや)

元体操日本代表選手。アテネ五輪金メダリスト。生年月日:1977年6月25日。東京都出身。明治大学経営学部卒業。身長166cm、体重63kg。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

体操は両親にやらされたのではなく

 体操五輪金メダリストの塚原光男と元体操五輪代表の千恵子夫人の一人息子として生まれる。両親は体操選手にしようと思っていたわけではなく、子供の頃はサッカーを習っていたが、現地で観戦した88年ソウル五輪に感動し、自らの希望で小学5年で本格的に体操を始める。

ニコライ・アンドリアノフのコーチで

 体操選手としては遅めのスタートだったが、両親が指導する朝日生命体操クラブで中国人コーチのもと過酷な練習に打ち込む。高校2年からは父のかつてのライバルで旧ソ連の英雄、ニコライ・アンドリアノフの指導を受け、2年、3年とインターハイ個人総合を連覇。大学1年で出場した96年アトランタ五輪は日本人最高の個人総合12位だった。

優勝候補だったシドニー五輪で

 同年の全日本選手権個人総合で19歳4ヶ月の史上最年少優勝(2000年まで5連覇)。97年に世界選手権個人総合銅メダル、99年には銀メダルを獲得。しかし優勝候補に挙げられた2000年シドニー五輪は、団体4位、個人総合18位に終わる。以降スランプに陥り、01年にはアンドリアノフが帰国、02年の全日本選手権は29位に終わった。

アテネ五輪団体金メダル

 03年に復調して世界選手権団体銅メダルを獲得し、全日本社会人選手権個人総合で優勝。翌年のアテネ五輪では28年ぶりとなる団体金メダルを獲得した。オリンピックでの親子2代金メダルは日本初。

父を超える4度目の五輪を目指して

 06年世界選手権では団体銅メダルを獲得したが、08年のNHK杯兼北京五輪代表選考会で7位に終わって代表入りならず。09年にオーストラリアに留学し、全豪選手権個人総合で3年連続最高得点をマーク。父を超える4度目の五輪出場を目標にオーストラリア国籍取得を目指したが、手続きが難航して11年の世界選手権には出場できず。オーストラリアは18位に終わって団体のロンドン五輪出場権を逃した。

結婚/豪国籍取得

 12年に航空会社勤務の日本女性と結婚。13年4月にオーストラリア国籍を取得し、7月の全豪選手権で、個人総合、つり輪、平行棒で優勝。

引退、指導者に

 16年2月の豪州代表選考会で敗れたリオ五輪出場ならず、3月に現役を引退した。

 現役引退後は父の後を継ぎ、朝日生命体操クラブ総監督を務めていたが、22年3月末に退任。不動産事業の『立飛ホールディングス』に入社し「体操ディレクター」として勤務している。

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LAST UP 2022/04/23