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塚原光男(つかはら みつお)

体操競技指導者。塚原体操センター代表。オリンピック体操金メダリスト。1947年12月22日生、東京都出身。日本体育大学体育学部卒業。妻は体操指導者の塚原千恵子、息子はアテネ五輪団体金メダリストの塚原直也

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

メキシコ五輪で金メダル

 子供の頃は大の巨人ファンで野球少年だったが、中学入学後鉄棒に興味を持って体操部に入部。その後は練習に明け暮れ、國學院高校時代は2年、3年とインターハイ個人総合を連覇。名門・日体大に進学し、68年メキシコ五輪で団体総合金メダルを獲得した。

ムーンサルトの生みの親

 70年に実業団の強豪・河合楽器に入社。同年の世界選手権で跳馬の新技「ツカハラ跳び」を発表して、団体総合と跳馬で金メダルを獲得。72年ミュンヘン五輪では鉄棒の新技「月面宙返り(ムーンサルト)」を発表し、団体総合と鉄棒で金、つり輪で銅メダルを獲得。五輪終了後の10月に女子体操の小田千恵子と結婚した。

五輪3大会連続金メダル

 76年モントリオール五輪ではオリンピック団体総合5連覇に貢献し、鉄棒でも金、跳馬で銀、個人総合と平行棒で銅メダルを獲得。79年に河合楽器を退社し、妻・の千恵子がコーチを務めていた朝日生命の監督に就任。現役も続け、4大会連続の五輪を目指したがモスクワ五輪の2次予選直前、床の新技練習中に頭から着地して頚椎を捻挫。なんとか予選会に出場したものの途中棄権し、代表入りはならなかった(日本は同大会をボイコット)。

体操ニッポン黄金時代

 五輪3大会で9個のメダルを獲得し(金5、銀1、銅3)、世界大会(五輪・世界選手権)団体総合10連覇を達成した体操ニッポンの黄金時代を支えたが、81年の全日本選手権が最後となり、82年4月に正式に現役を引退。

日本初親子2代五輪金メダル

 引退後は指導者として数多くの選手を育て、日本代表総監督を務めた04年アテネ五輪では、息子の直也を擁して28年ぶりの団体総合金メダルを獲得、日本初の親子2代の五輪金メダリストとなった。

ロンドン五輪日本選手団総監督

 12年ロンドン五輪では日本選手団総監督を務めた。13年の参院選に自民党比例代表として立候補したが落選している。

パワハラ騒動

 18年8月、リオ五輪代表の宮川紗江選手が塚原夫妻からパワハラを受けたと告発。騒動となり、9月に日本体操協会から職務の一時停止処分を受ける。しかし第三者委員会はパワハラを認定せず、12月に職務停止処分が解除された。

日本体操協会副会長を退任

 19年6月、任期満了により日本体操協会副会長を退任し、現在は顧問。

関連人物

塚原千恵子 塚原直也

LAST UP 2020/02/24