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小笠原歩(おがさわら あゆみ)

カーリング指導者。生年月日:1978年11月25日。北海道常呂郡(現・北見市)出身。札幌学院大学卒業。旧姓:小野寺。

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カーリングの町に生まれ育つ

 カーリングの町として知られる北海道常呂郡常呂町(現・北見市常呂町)で生まれ育つ。農業を営む両親も冬になるとカーリングに取り組み、海外遠征もしていたという。

シムソンズ結成

 子供の頃は興味がなかったが、中学1年の時に同級生・加藤章子(現姓:関和)に誘われ、林弓枝(現姓:船山)らと『シムソンズ』を結成してカーリングを始める。シーズン中は毎日練習に励み、中学3年の時に日本ジュニア選手権初優勝。96年には世界ジュニア選手権で5位に入賞し、『シムソンズ』は国内無敵のジュニアチームとなった。

世界ジュニア銀メダル

 大学進学後の98年に世界ジュニア選手権で日本初の銀メダルを獲得。翌年も銀メダルを獲得し、個人でも大会のオールスターに選出。01年には2年ぶり2度目の日本選手権優勝を飾り、前年覇者・河西建設との選考会にも勝利して五輪出場権を獲得。

 01年に大学を卒業したが五輪に備えて就職せず、アルバイトをしながら練習に励むも02年のソルトレーク五輪は予選リーグ敗退の8位に終わり、『シムソンズ』は解散した。当時の活躍は加藤ローサ主演で【 シムソンズ 】として映画化されている。

チーム青森でトリノ五輪に

 五輪後林とともに青森に移り、青森市文化スポーツ振興公社の臨時職員となる。その後新チーム『リンゴスターズ』、『フォルティウス』で日本選手権優勝などを飾った後『チーム青森』を結成。05年の世界選手権で9位に入ってトリノ五輪の日本の出場枠を獲得し、最終選考会で『チーム長野』を破って五輪出場権を獲得した。

 06年2月のトリノオリンピックでは日本選手団の苦戦が目立つ中、『チーム青森』は7位に入賞。「カーリング娘」として人気を集め、帰国直後の日本選手権で優勝。

幼なじみと結婚

 06年3月に青森市文化スポーツ振興公社を退職し、5月に『チーム青森』を離脱。幼なじみと結婚して第一線から退いたが、07年に長野五輪代表の敦賀信人と『チーム常呂』を結成して新種目ミックスダブルスに挑戦し、同年の日本選手権で準優勝した。なお結婚後は登録名を「小笠原」姓にしている。

出産・現役復帰

 09年に第一子を出産。10年に現役復帰を表明し、11年4月、船山らと新チーム『北海道銀行フォルティウス』を結成した。

現在はジュニアコーチ

 18年6月に『北海道銀行フォルティウス』を退団。第一線を退き、現在はコーチとしてジュニアの育成に当たり、20年1月の冬季ユースオリンピックでは日本代表コーチを務め、混合団体で銀メダル獲得に導いた。

日本カーリング協会理事に就任

 20年7月、日本カーリング協会理事に選任された。任期は2年。元五輪選手の理事就任は初めてだという。 

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LAST UP 2020/07/11