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和泉節子(いずみ せつこ)

狂言プロデューサー。生年月日:1942年6月11日。岐阜県大垣市出身。金城学院大学短期大学部卒業。本名:山脇節子(旧姓:大橋)。

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笑っていいとも!史上に残る放送事故

狂言和泉流

 狂言和泉流十九世宗家・故和泉元秀の妻。三人の子供はいずれも狂言師で、長女の和泉淳子は史上初の女性狂言師、次女は十世三宅藤九郎、長男は和泉元彌。

父は鉄工所社長、母は竹中半兵衛の子孫

 岐阜県大垣市に生まれる。父は鉄工所社長、母は戦国武将・竹中重治(半兵衛)の子孫で大地主の娘ということもあり、裕福な家庭で育つ。自宅は敷地千坪でたくさんの蔵もあり、大垣ではまだ珍しかった自動車も所有し、幼い頃は車で学校へ送迎されたという。

花嫁修業

 母親が名古屋市の病院に入院したのをきっかけに、中学3年で地元の公立校から名古屋の私立金城学院に編入。金城学院は土曜日が休みだったため、母親の勧めで料理や茶道、華道を習い始める。

和泉元秀と結婚

 高校時代は琴も習い、短大卒業後は和裁、洋裁を習いながら何度か見合いをし、65年に和泉元秀(本名:山脇保之)を紹介される。3年の交際を経て68年に結婚した。結婚式の媒酌人は尾張徳川家19代当主・徳川義親。

狂言プロデューサー

 69年に長女・淳子、72年に次女・祥子(十世三宅藤九郎)、74年に長男・元彌を出産。子供に狂言修業をさせながら、夫の活動をサポートし、80年には初の自主公演「大垣狂言の会」を手掛けるなど狂言プロデューサーとしても活動。95年に和泉元秀が死去した。

セッチーと呼ばれて

 現在は狂言プロデューサーのほか、狂言和泉流宗家宗家会理事長なども務め、和泉流狂言の普及と伝承に努めている。「セッチー」の愛称でテレビ番組でも活躍し、かつては『笑っていいとも!』にレギュラー出演。12年公開の映画【 IKARIDA 脱獄~隣の住人 】で女優デビューも果たした。

和泉流宗家狂言チャンネル

 20年4月、YouTubeに『和泉流宗家狂言チャンネル』を開設した。

関連人物

和泉淳子 三宅藤九郎

LAST UP 2020/07/12