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鈴木徹(すずき とおる)

陸上選手(走り高跳び):T64クラス。SMBC日興証券所属。生年月日:1980年5月4日。山梨県山梨市出身。筑波大学体育専門学群卒業。身長179cm。

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スポーツで成功する条件は才能努力運と、もう一つ

スポーツ万能

 子供の頃から運動神経抜群で、野球やバスケットボールに取り組む。中学時代はハンドボール部キャプテンを務める傍ら、陸上大会にも出場。走高跳で県大会2位に相当する記録を出した。

ハンドボールで山梨代表に

 地元山梨のハンドボールの名門・駿台甲府高校に進学し、山梨代表に選ばれて国体3位。日本代表を目指し、筑波大学への推薦入学も決まっていたが、高校卒業間近の2月、ドライブ中に居眠りしてガードレールに激突、膝下11センチを残して右足を切断した。

初めての走高跳で日本記録を上回る

 大学を休学して東京身体障害者福祉センター(現・義肢装具サポートセンター)でリハビリに励み、義足に慣れると一人暮らしをして東京都多摩障害者スポーツセンターに通う。

 事故から1年後の2000年2月、たまたま器具を見掛けて挑戦した走高跳で、当時の障害者日本記録を15cmも上回る1m65cmを記録。4月に大学に復学するとハンドボール部に断りを入れて陸上部に入部し、直後の大会で1m74cmをマーク。参加標準記録を突破し、同年のシドニーパラリンピックに出場して6位入賞。04年アテネパラリンピックも6位に入賞した。

日本初の義足のプロアスリートに

 05年にプロ宣言し、自らスポンサーを探して日本初の義足のプロアスリートとなる。同年のパラリンピックワールドカップで自己記録を更新して銀メダルを獲得し、ヨーロッパ選手権でも銀メダルを獲得。06年に義足選手としては世界で二人目の2mジャンパーとなり、07年にはIWAS世界大会で金メダルを獲得した。

駿河台大学ハンドボール部監督に

 08年北京パラリンピックでは日本選手団旗手を務めて5位入賞。09年には新設の駿河台大学ハンドボール部監督に就任。12年ロンドンパラリンピックは4×100mリレーで45秒36の日本記録で4位入賞。走り高跳びも1m98で4位に入賞した。

世界パラ陸上で銅メダル

 15年のジャパンパラでは4×100mリレーで日本記録を更新(44秒33)。16年のIPCグランプリの走り高跳びでは2m02で金メダルを獲得、日本記録並びにアジア記録を樹立した。

 16年リオパラリンピック走り高跳びは1m95で5大会連続入賞となる4位。17年の世界パラ陸上は2m01で銅メダルを獲得。19年の世界パラ陸上でも1m92で2大会連続の銅メダルを獲得し、東京パラリンピック代表に内定。6大会連続の出場となる。

担当看護師と結婚

 現在は芸能プロダクション・レプロエンタテインメントに所属し、講演活動なども行っている。なお事故後入院していた病院の担当看護師と04年に結婚、07年に第一子の長男が誕生している。

東京パラリンピック

 21年の東京パラリンピックは男子走り高跳び(義足・機能障害T64)に出場。1メートル88で3大会連続となる4位だった。

LAST UP 2021/09/07