太田雄貴(おおた ゆうき)

日本フェンシング協会会長。国際フェンシング連盟副会長。元フェンシング選手:フルーレ。1985年11月25日生、滋賀県出身。同志社大学商学部卒業。身長171cm、体重67kg。

 両親とも小学校教師の家に3人兄姉の末っ子として生まれる。幼い頃はピアノや水泳を習ったが、経験者だった父親の「スーパーファミコンを買ってあげるから」という言葉に釣られ小学3年でフェンシングを始める。

 父親の熱心な指導を受けるもあまり乗り気ではなかったが、開始わずか7ヵ月で全国優勝したことでのめり込み、その後はフェンシングクラブのほか名門高校・大学の練習にも参加して同世代には敵がいなくなる程の力を付け、小学5年、6年で全国少年大会小学生の部を、中学2年、3年で中学生の部を連覇。平安高校(現龍谷大学付属平安高校)時代は史上初のインターハイ3連覇を達成し、2年生の時には初出場の全日本選手権で史上最年少優勝(17歳3日)を成し遂げた。

 04年にはワールドカップ・イラン大会で日本人初優勝を飾り、アテネ五輪では日本選手過去最高の9位。しかし五輪後はルール改正などの影響でスランプに陥り、06年は3連覇を目指した全日本インカレで敗れ、中学1年以来の全国優勝なしに終わる。同年2月には小学3年から毎日続けていた練習を初めて休んだ。

 復活を期し、それまで嫌っていたナショナルチームのウクライナ人コーチ、オレグ・マツェイチュクに頭を下げ、指導を受け始めたことで復調し、06年12月のアジア大会で日本勢28年ぶりの金メダルを獲得。07年2月には日本フェンシング協会が北京五輪に向けて始めた「500日合宿」に参加して更なる飛躍を遂げ、07年に5年ぶりの全日本選手権優勝を果たした。

 08年に大学を卒業したが就職せず練習に打ち込み、北京五輪ではフルーレ個人でフェンシング種目日本人初となる銀メダルを獲得。「ニート剣士」として一躍脚光を浴びて数多くの企業から誘いを受け、同年11月に森永製菓に入社した。

 「日本フェンシング史上最高の才能」と言われ、09年5月には日本人初の世界ランキング1位となり、10年の世界選手権では個人・団体ともに銅メダルを獲得。12年ロンドン五輪は個人は3回戦で敗退するも日本初の団体銀メダルを獲得した。

 15年の世界選手権個人では全種目を通じて日本勢初優勝を飾る。優勝候補として臨んだ16年リオオリンピックでは初戦で地元ブラジルのギレルミ・トルドにまさかの敗戦を喫し、現役引退を表明した。

 17年8月に日本フェンシング協会会長に就任。同年12月にはTBSアナウンサー・笹川友里と結婚した。

 18年3月に森永製菓を退社。18年7月に国際フェンシング連盟副会長に就任した。

LAST UP 2019/03/13