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古賀稔彦(こが としひこ)

柔道家。1967年11月21日生、佐賀県出身。日本体育大学卒業。弘前大学大学院医学研究科在学。身長169cm。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

兄弟で数々の大会で優勝

 小学1年の時、2歳上の兄・元博と一緒に柔道を始める。すぐにのめり込んで道場稽古のほか柔道経験者の父とも特訓に励み、兄弟ともに数々の大会で優勝。柔道界にその名を轟かせると、小学校卒業後上京して名門・講道学舎に入門した。なお兄・元博も小学校卒業後に入門している。

「平成の三四郎」

 講道学舎では恩師・吉村和郎の指導や兄との猛特訓で実力を伸ばし、中学2年で全国中学校大会優勝(団体戦)。世田谷学園高校時代は金鷲旗2連覇、インターハイ中量級2連覇など数々のタイトルを獲得して「昭和の三四郎(後に平成の三四郎)」と呼ばれるようになり、高校3年の時には東京都新人体重別選手権決勝で兄・元博と対戦。注目を集めた兄弟対決は関節技で弟・稔彦が一本勝ちした。

体重無差別の全日本で決勝進出

 大学時代は87年に全日本選抜体重別選手権71キロ級で初優勝(92年まで6連覇)。金メダル確実といわれた88年のソウル五輪はまさかの3回戦敗退に終わったが、翌89年には世界選手権初優勝を果たし、90年には体重無差別の全日本選手権に初出場。100キロを超える選手を次々と破って勝ち進んだが決勝で重量級の世界チャンピオン・小川直也に一本負けした。なお大会後周囲からは中量級ながらよく戦ったと称えられたが決勝は一瞬の油断で敗れたため、本人には悔しさが残ったという。

怪我を押して金メダル

 91年に世界選手権2連覇を達成。92年のバルセロナ五輪では試合10日前の吉田秀彦との練習中に左ヒザじん帯損傷の重傷を負ったが、71キロ級で悲願の金メダルを獲得した。

アトランタは銀メダル

 バルセロナ後、2年のブランクを経て78キロ級で復帰すると95年の世界選手権で優勝して2階級制覇を達成。しかし翌96年のアトランタ五輪は銀メダルに終わった。

谷本歩実を金メダルに

 2000年の全日本選抜体重別選手権兼シドニー五輪代表選考会で初戦敗退して現役を引退。以後指導者として活躍し、03年に柔道場「古賀塾」を開塾。一方で全日本女子強化コーチを務め、谷本歩実をアテネオリンピック金メダル獲得に導いた。

 07年にはIPU環太平洋大学体育学部体育学科教授、女子柔道部総監督に就任し、08年には日本健康医療専門学校校長に就任。08年4月には弘前大学大学院医学研究科博士課程に入学した。

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吉田秀彦

LAST UP 2008/08/29