元プロ野球選手:投手。生年月日:1980年9月13日。東京都江東区出身。横浜高校卒業。身長182cm、体重92kg。右投右打。血液型:O型。
- ワダマメちゃんねる
- 荒木大輔に因んで
- 帝京高校を希望していたが
- 平成の怪物甲子園を席巻
- 最多勝で新人王
- レッドソックス移籍
- 右ヒジ靱帯修復手術
- 日本球界復帰
- テスト入団の中日でカムバック賞
- 西武復帰
- 頚椎を手術
- 現役引退
- 報ステキャスターに
- 通算成績
- 関連人物
- 作品
ワダマメちゃんねる
荒木大輔に因んで
4310gの巨大児として生まれる。当時甲子園で活躍していた早稲田実業の投手・荒木大輔にあやかり「大輔」と名付けられた。
小学3年から軟式の強豪「東陽フェニックス」で本格的に野球を始める。4年生からピッチャーとなり、6年生でリトルリーグ「江戸川南リトル」に入団。一方で5歳から小学3年まで剣道を習い、手首や背筋など野球に役立つ筋肉が鍛えられたという。
帝京高校を希望していたが
中学1年でリトルシニアに進むと日本代表に選ばれ、世界少年野球選手権で最優秀防御率賞を受賞(日本は5位)。当初は帝京高校を希望していたが、同じ日本代表だった小山良男(元中日)や小池正晃(元横浜) らが横浜高校に進学することを知って同校に変更した。
平成の怪物甲子園を席巻
入学直後はコントロールの悪さや体重増などの影響で目立った活躍はできなかったが、2年生からエースになって注目を集め、自身初出場となった3年春の甲子園で優勝。夏の大会では決勝でノーヒットノーランを達成し、春夏連覇を成し遂げた。『平成の怪物』の異名で甲子園を席巻し、当時の横浜高校は桑田、清原のいたPL学園と並び高校野球史上最強とも言われる。
最多勝で新人王
98年のドラフト会議で1位指名され西武ライオンズに入団。1年目から最多勝(16勝)を挙げて新人王に輝くと、以降西武だけでなく日本代表としてオリンピック(シドニー、アテネ)やWBCでも活躍。06年の第1回WBCでは優勝に貢献し、大会MVPに選ばれた。
04年には日本テレビアナウンサー・柴田倫世と結婚(結婚を機に退社)。05年に長女、08年に長男、10年に次女が誕生している。
レッドソックス移籍
06年シーズン終了後ポスティングシステムを利用し、年俸総額約61億円の6年契約でボストン・レッドソックスに入団。07年は新人ながらローテーションを守り通し、15勝(12敗)を挙げてワールドシリーズ制覇に貢献。08年は野茂英雄の16勝を上回る日本人メジャー最多勝を記録(18勝3敗)。09年の第2回WBCでも大会連覇に貢献し、2大会連続のMVP・ベストナインに輝いた。
右ヒジ靱帯修復手術
しかし09年シーズンは故障者リスト入りするなど自己ワーストの4勝(6敗)に終わる。10年は日米通算150勝を達成するも9勝。11年は6月に右ヒジ靱帯修復手術を受けた。
12年6月にメジャー復帰するも1勝7敗に終わってFAとなり、13年2月にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約。8月にニューヨーク・メッツとメジャー契約し、3勝3敗。シーズン終了後FAとなるも14年4月に再びメッツとメジャー契約を結んで3勝3敗1セーブ3ホールド。
日本球界復帰
14年12月に3年12億でソフトバンクに入団。15年8月に右肩を手術。16年10月に1軍登板を果たすも1回で5失点を喫し(自責点は2)、翌日1軍登録を抹消された。
テスト入団の中日でカムバック賞
17年シーズンは登板がなくソフトバンクを退団し、12月に中日にテスト入団。18年は復活を遂げて6勝を挙げる。ファン投票1位でオールスター出場、セ・リーグのカムバック賞にも選ばれた。
西武復帰
19年は春季キャンプでファンに右腕を引っ張られたことで右肩を故障。一軍登板は2試合にとどまりオフに自由契約となり、12月、14年ぶりに西武に復帰した。背番号は16。19年は2試合に登板して0勝1敗防御率16.88。
頚椎を手術
20年シーズンは開幕を2軍で迎え、7月に脊椎内視鏡頚椎手術を受ける。5月ごろから首の痛みと右手のしびれが強くなったという。20年は1軍、2軍通じて登板なしに終わる。
現役引退
21年シーズンも1軍、2軍通じて登板がなく、7月に現役引退を表明。10月19日の日本ハム戦で引退登板し、現役を引退した。
報ステキャスターに
22年2月1日から『報道ステーション』でスポーツキャスターを務める。
通算成績
NPB:219試合114勝65敗1セーブ 防御率3.04 奪三振1410(代打出場を含めた試合数は220)
MLB:158試合56勝43敗1セーブ3ホールド 防御率4.45 奪三振720
関連人物
LAST UP 2022/01/29