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藤川球児(ふじかわ きゅうじ)

元プロ野球選手:投手。生年月日:1980年7月21日。高知県高知市出身。高知商業高校卒業。身長185cm、体重90kg。右投左打。血液型:O型。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

父のノーノーで「球児」に

 父親が草野球でノーヒットノーランを達成した次の日に生まれ「球児」と名付けられる。1つ上の兄・順一と一緒に小学3年で少年チームに入団すると、すぐに才能を認められてレギュラー入り。初めはショートだったが、徐々にピッチャーも任されるようになった。城北中学時代はショートが多かったが、そこには将来投手として大成させるため無理をさせたくないという指導者の配慮があったという。女優の広末涼子は中学の同級生。

ドラフト1位で阪神入り

 兄と同じ高知商業に進学し、2年夏に兄弟バッテリーで甲子園に出場(2回戦敗退)。翌98年のドラフト会議で1位指名され阪神タイガースに入団した。松坂大輔と同期で、いわゆる「松坂世代」に当たる。

山口高志コーチの指導で開花

 プロ入り後は怪我に悩まされ、5年間でわずか2勝しか挙げられなかったが、04年に山口高志コーチの指導で投球フォームの改造に取り組むと才能が開花。150キロを超える豪速球を身に付けてシーズン後半から中継ぎを務め、翌05年にジェフ・ウィリアムス、久保田智之と救援三本柱『JFK』として大ブレイク。シーズン最多記録(当時)となる80試合に登板してリーグ優勝に貢献し、最優秀中継ぎ投手を獲得(53HP)。ファン投票1位(中継ぎ投手部門)でオールスターにも出場した。

不動のクローザーに

 06年はシーズン途中から怪我の久保田に代わって抑えを務めて17セーブを挙げ、38試合連続無失点のセ・リーグ記録を樹立。07年は不動のクローザーとして日本タイ記録(当時)の46セーブを挙げ、最多セーブ投手を獲得した。

球団セーブ記録更新

 08年も38S、09年も25Sを挙げるなど日本屈指のクローザーとして活躍し、10年には山本和行の持つ球団セーブ記録(130S)を更新。11年は通算100ホールドをマークして史上初の100ホールド・100セーブを達成、2度目の最多セーブも獲得した(41S)。

メジャー移籍

 12年は通算200セーブを達成し、オフに海外FA権を行使して、メジャーリーグ、シカゴ・カブスに移籍。13年シーズンは初登板で初セーブを挙げるも、6月にトミージョン手術を受け、メジャー1年目を1勝1敗2セーブ1ホールドで終える。14年シーズンは故障者リスト入りが続き、オフにFAとなる。

 14年12月にレンジャーズと契約するも15年5月に自由契約となり、同年は四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでプレー。

阪神復帰

 15年11月に阪神に復帰、16年は先発投手としてスタートしたがシーズン途中で救援投手となり、7月に日米通算1000奪三振を達成。17年5月には野茂英雄を超え史上最速でNPB1000奪三振を達成。18年には2年ぶりのセーブを記録し、19年はNPB初の150セーブ・150ホールドを達成、クローザーも務めて16セーブを挙げた。

日本代表として

 日本代表でも活躍し、06年の第1回WBC優勝に貢献。08年の北京五輪は4位に終わったが、09年の第2回WBCでは大会連覇に貢献した。

現役引退

 2020年は新型コロナウイルスの影響で開幕が延期になるなどコンディション調整に苦しんで調子が上がらず、8月31日に引退を発表。同年限りで現役を引退した。現在は解説者として活躍するほか阪神タイガースのスペシャルアシスタント(特別補佐)も務めている。

通算成績

NPB:782試合60勝38敗243セーブ163ホールド 防御率2.08 奪三振1220。
MLB:29試合1勝1敗2セーブ1ホールド 防御率5.74 奪三振32。

関連人物

星野仙一 松坂大輔

LAST UP 2021/04/09