元プロ野球選手。1973年10月22日生、愛知県出身。愛知工業大学名電高校卒業。本名:鈴木一朗。身長180cm、体重79kg。右投左打。
- ワダマメちゃんねる
- 次男で一朗
- 父は小学4年でプロを確信
- 成績も優秀で
- 中日を望むも
- 『イチロー』に
- メジャーにイチロー旋風
- シーズン最多安打
- 日米通算3086安打
- 200安打ならず
- ヤンキース移籍
- 日米通算4257安打
- マリナーズ復帰
- 現役引退
- 通算成績
- 関連人物
- 作品
ワダマメちゃんねる
次男で一朗
兄・一泰(かずやす)の下に二人兄弟の次男として生まれる。祖父・銀一さんの「一」の字をとり、次男ながら一朗と名付けられた。
父は小学4年でプロを確信
父・宣之の指導で野球を始めると、右利きながら左打ちで教えられる。小学3年からは卒業までほぼ毎日父と練習し、そのセンスの高さから小学4年ですでに父は将来のプロ入りを確信したという。
成績も優秀で
中学時代はエース・3番打者として活躍し、3年生の時に全国大会3位。県内外の強豪校から誘われ、地元の名門・愛工大名電高校に進学した。中学時代は学業も優秀で、先生からは東大を視野に進学校を勧められたと言う。
中日を望むも
2年夏、3年春と2度甲子園に出場するも、いずれも初戦敗退で全国的には無名だったが、プロのスカウトからは高い評価を受け、91年ドラフト会議の4位指名でオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に入団した。本当は子供の頃から大ファンだった中日ドラゴンズに行きたかったと言う。
『イチロー』に
1年目にジュニア・オールスターMVP、ウエスタン・リーグ首位打者を獲得。2年目には野茂英雄(当時近鉄)からプロ初ホームランを放つも一軍定着できずにいたが、3年目の94年、新たに就任した仰木彬監督のもとで登録名を『イチロー』に変え、レギュラーに抜擢されるといきなり大活躍。プロ野球新記録のシーズン210安打を放ち、一躍国民的ヒーローになった。
その後も7年連続首位打者、3年連続MVP、打点王、盗塁王など多くのタイトルを獲得し、数々の新記録も樹立。しかしシーズン最高打率は.387(2000年)で歴代2位に終わり、ランディ・バース(元阪神)の.389の更新はならなかった。
メジャーにイチロー旋風
2000年シーズン終了後シアトル・マリナーズにFA移籍。メジャーリーグ初の日本人野手ながら1年目から大活躍し、映画【 フィールド・オブ・ドリームス 】にも登場した伝説のプレーヤー、シューレス・ジョー・ジャクソンの持つ新人最多安打記録233を破る242安打を放って首位打者を獲得。ア・リーグMVP、新人王、盗塁王も獲得してイチロー旋風を巻き起こした。
シーズン最多安打
04年には262安打を放ってジョージ・シスラーの持つシーズン最多安打記録257を更新。07年にはオールスター史上初のランニングホームランを打ってMVPを獲得し、08年には日米通算3000本安打も達成。一方で06年の第1回WBCで優勝に貢献し、ベストナインを受賞。09年の第2回WBCは不調に苦しみながらも決勝の韓国戦では決勝タイムリーを放ち、大会連覇を達成した。
日米通算3086安打
09年シーズンは胃潰瘍により自身初の故障者リスト入りして開幕から8試合欠場したが、復帰2試合目で張本勲の日本プロ野球最多安打記録を上回る日米通算3086安打を放ち、9月には1900年以降では史上2番目のスピード記録となる1402試合目でメジャー通算2000本安打を達成。同月にはメジャー史上初の9年連続200本安打を達成した。
10年も200安打を達成、10度目の200安打はピート・ローズと並ぶメジャー記録。同年はメジャー通算1000得点、日米通算3500安打も達成。
200安打ならず
11年は200安打達成はならず、日本時代の94年から続いていた連続打率3割も途切れる。メジャー1年目から出場していたオールスターにも選ばれなかった。
ヤンキース移籍
12年7月、トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍。地区優勝に貢献し、2年契約で残留した。なお13年の第3回WBCは出場を辞退している。
日米通算4257安打
13年に日米通算4000本安打を達成。14年オフにFAとなり、15年1月にマイアミ・マーリンズと契約。同年投手としてメジャー初登板を経験。16年は通算安打世界記録となる4257安打、史上30人目のメジャー通算3000本安打を達成。メジャー通算500盗塁、日米通算700盗塁も達成した。
マリナーズ復帰
18年にマリナーズに復帰。5年ぶりの開幕スタメンを果たし15試合に出場するも、5月に球団の会長付特別補佐に就任し、残り試合に出場しないことを発表。
現役引退
19年3月、東京ドームで行われた開幕シリーズ2試合に出場後、現役引退を発表。マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターに就任した。
19年12月に学生野球資格回復研修を受け、20年2月に資格回復を認められた。
通算成績
NPB:951試合 1278安打 118本塁打 529打点 打率.353 199盗塁。MLB:2653試合 3089安打 117本塁打 780打点 打率.311 509盗塁。
関連人物
LAST UP 2020/02/08