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和田毅(わだ つよし)

プロ野球選手:福岡ソフトバンクホークス投手。生年月日:1981年2月21日。島根県出身。早稲田大学人間科学部卒業。身長179cm、体重80kg。左投左打。背番号21。

父は首都大学リーグ首位打者

 父は日体大野球部出身で首都大学リーグ元首位打者、母も元実業団バレー選手というスポーツ一家に生まれ、小学1年で野球を始める。強制されたわけではなく、指導もさほど受けなかったと言う。

松坂世代で2度甲子園出場

 身体は小さかったが抜群の運動神経と左利きを生かし、中学時代は投手兼外野手として地区大会準優勝。浜田高校時代は名将・新田均監督のもと、エースとして2年夏(1回戦敗退)、3年夏(ベスト8)と2度甲子園に出場した。なお3年夏の大会を制した横浜高校の松坂大輔とは同学年で「松坂世代」に当たる。対戦はしなかったが開会式後松坂に頼んで記念写真を撮ったという。

2ヶ月で140キロを超える直球

 憧れの早大に進学するも入学直後は直球がMAX129キロしか出ず、野手転向も考えたと言うが、1年夏から野球部トレーナーの指導で投球フォームや肉体改造に取り組むと、僅か2ヶ月で140キロを超える直球を身に付け、六大学を代表するエースに成長。4年秋には江川卓の持つ六大学リーグ通算奪三振記録443を破って476まで伸ばし「早稲田のドクターK」の異名をとった。

新人王から5年連続二桁勝利

 02年ドラフト会議の自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)に入団。1年目の03年は14勝を挙げて日本一に貢献し、新人王を受賞。日本代表にも選ばれ04年アテネ五輪銅メダル、06年第1回WBC優勝に貢献した。05年には女優でタレントの仲根かすみと結婚している。

 07年には入団から5年連続二桁勝利を達成したが、08年は8勝に終わり、北京五輪もメダル獲得ならず。09年の第2回WBCは代表候補に選ばれ合宿にも参加したが、最終メンバーから外れた。

パ・リーグMVP

 09年シーズンは開幕投手を務め、プロ野球タイ、パ・リーグ新記録の開幕戦14奪三振をマークしたが、肘の炎症による登録抹消もあり、自己ワーストの4勝(5敗)に終わる。しかし10年は自己最多の17勝を挙げて初の最多勝に輝き、7年ぶりのリーグ制覇に貢献(チームはクライマックスシリーズ敗退)、自身初のベストナイン、パ・リーグMVPを受賞した。

8年ぶりの日本一でメジャー移籍

 11年は16勝を挙げてリーグ2連覇に貢献し、8年ぶりの日本一(前身のダイエー時代を含む)を達成。シーズン終了後FA宣言し、メジャーリーグ、ボルチモア・オリオールズと2年契約を締結。

トミー・ジョン手術

 12年は左ひじを痛めて開幕前に故障者リスト入りし、5月にトミー・ジョン手術を受け、そのままシーズンを終える。14年7月、移籍したシカゴ・カブスでメジャー初登板を果たし、翌年もカブスでプレーしたが、15年11月古巣ソフトバンクに復帰した。

日本復帰

 16年は15勝5敗で2度目の最多勝と初の最高勝率(.750)を獲得。17年は6年ぶり4度目の開幕投手を勝利で飾ったが、5月に左肘の肘頭骨棘除去術を受ける。8月に復帰し、1500奪三振を達成。18年は左肩痛のため一軍登板はなかった。

 19年は2年ぶりの勝利を挙げ、日本シリーズでも16年ぶりの勝利を飾ってチームの日本一に貢献した。

最後の松坂世代

 20年は8勝(1敗)、21年は5勝を挙げる。21年シーズンで松坂大輔が引退したため、『松坂世代』の現役最後の一人となった。

 21年成績:18試合5勝6敗 防御率4.48 奪三振83。

通算成績(21年終了時)

NPB:288試合143勝77敗 防御率3.19 奪三振1723。
MLB:21試合5勝5敗 防御率3.36 奪三振88。

関連人物

江川卓 工藤公康 松坂大輔

LAST UP 2021/12/21