女優。1942年3月25日 - 2021年6月22日。東京都出身。都立広尾高校卒業。本名:大鶴初子(おおつる はつこ)。息子は俳優で作家の大鶴義丹。身長162㎝。
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在日韓国人三世として生まれる
両親とも在日韓国人で自身は在日三世。6人きょうだいの長女として東京で生まれる。帰化前の本名は「李初子」だが、小・中学校では通名「星山初子」を使用した。
父親が事業に失敗
中学校で演劇部に入部して演劇を始めと、児童劇団『こまどり』にも入団し、演劇に夢中になる。
高校でも演劇部に入部したが、父親が事業に失敗したため、高校時代はアルバイトをして授業料を払い、制服は中学時代のものを着用。林間学校や修学旅行にも行けなかったという。
唐十郎と出会い
高校卒業後、演劇学校『舞台芸術学院』に入学。当時は1クラスの人数が多く、埋もれそうになりながら、ダンスに興味を持って毎日ダンスレッスンに明け暮れる。映画や舞台、狂言、歌舞伎、能などを鑑賞し演劇の勉強にも励んだ。
状況劇場の看板女優
学校生活が3年経った頃に劇作家・唐十郎と出会い、唐が旗揚げした劇団『状況劇場』に参加。本名の初子の初に似た「礼」と、母親の名前から「仙」の字をとって自ら芸名を『李礼仙』と名付け、『状況劇場』の看板女優として活躍し『アングラの女王』の異名を取る。
『状況劇場』は寺山修司の『天井桟敷』とともにアングラ演劇ブームを牽引し、ソウルやバングラデシュなどで海外公演も行った。旗揚げ直後は唐とともにクラブやキャバレーなどを廻ってショーに出演して公演費用を稼いでいたという。
一人息子は大鶴義丹
67年に唐十郎と結婚し、68年には一人息子の義丹が誕生。義丹の小学校入学のタイミングで日本に帰化し「大鶴初子」となる。88年に作家・瀬戸内寂聴の勧めで芸名を『李麗仙』と改名、同年に唐と離婚した。
金八先生
舞台のほか映画、ドラマなどでも活躍し、テレビドラマ【 3年B組金八先生 第4シリーズ 】では教頭の石川千春役を好演。
死去
19年10月、前年に脳梗塞を患い、女優復帰に向けて治療・リハビリ中と報じられた。
21年6月22日、肺炎のため死去した。79歳だった。
LAST UP 2021/12/04