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萩原智子(はぎわら ともこ)

日本水泳連盟理事。元水泳選手。生年月日:1980年4月13日。山梨県甲府市出身。身長179cm。本名:佐藤智子。ニックネーム:ハギトモ。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

高身長がコンプレックスで

 子供の頃は活発で外で遊びまわるのが好きだった反面、小学校卒業時で170cmを超えた長身にコンプレックスを抱いていたという。

岩崎恭子を見て

 海でおぼれたのをきっかけに小学2年でスイミングクラブに入会すると、すぐに才能を認められ、半年で選手コースに昇格。92年バルセロナ五輪で金メダルを獲得した岩崎恭子を見てオリンピックに憧れるようになった。

アトランタ五輪出場ならず

 中学2年からジュニア日本代表に選ばれ、95年には200m背泳ぎ日本歴代2位を記録。しかし翌年の日本選手権は100m8位、200m3位に終わり、アトランタ五輪出場はならなかった。ニックネームの『ハギトモ』は中学3年の県強化合宿の時、同じ『智子』名がいたので、区別するために付けられたという。

シドニー五輪出場

 山梨学院大学附属高校時代は200m背でインターハイを3連覇し、3年生のアジア大会では100m・200m背、400mメドレーリレーの三冠を達成。山梨学院大学に進むと、プールも水泳部もなかったため自ら水泳部を創設。1年目は部員が自分だけで練習もスイミングクラブで行ったが、2000年の日本選手権では200m背2位、200m個人メドレーでは優勝して念願の五輪出場権を獲得。シドニー五輪は200m背4位、200m個メ8位だった。

史上初の個人四冠

 01年世界選手権では800mフリーリレーで銅メダルを獲得。02年日本選手権では100m・200m自、200m背、200m個メを制して史上初の個人四冠を達成。一方で01年に椎間板ヘルニア、02年には過喚気症候群を発症して03年は1年間休養生活を送った。

2度目の五輪ならず引退

 04年日本選手権では自由形100m2位、50mでは優勝したが、派遣標準記録に届かず2度目の五輪出場はならず現役を引退。05年に山梨学院大学大学院を修了して同大学のカレッジスポーツセンターの研究員になったほか、水泳解説などでも活躍。06年には8歳年上のテレビ朝日ディレクター・佐藤一馬さんと結婚した。

5年ぶりに現役復帰

 09年6月、ロンドン五輪を目指して5年ぶりに現役復帰し、9月の国体成年女子50m自で大会新で優勝。10年は日本選手権で自由形50m・100mとも3位に入り、パンパシフィック選手権400mフリーリレーでは日本新で4位。競泳W杯は50m自で短水路日本新で6位、100m個メでは短水路日本新で優勝。アジア大会では400mフリーリレー日本新で銀メダルを獲得した。

ロンドン五輪出場ならず

 11年4月に子宮内膜症と卵巣のう腫の手術を受けたが、翌月には練習を再開。12年2月の短水路日本選手権50m自予選では日本記録を更新。しかし4月の日本選手権では自由形100m8位、50m5位に終わり、ロンドン五輪出場はならず、引退した。

 13年6月、日本水泳連盟理事に就任した。

出産

 14年11月に第一子となる長男を出産。現在は日本水泳連盟アスリート委員長のほか東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員なども務めている。

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岩崎恭子

LAST UP 2020/08/02