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吉田日出子(よしだ ひでこ)

女優。生年月日:1944年1月7日。東京都出身。都立北園高校卒業。本名:平松日出子。血液型:AB型。

最初で最後の父子対面

 母親は妊娠時東京に住んでいたが、徴兵された父親の滞在地・石川県金沢に出向いて日出子を出産。その後父親が戦死したため最初で最後の親子対面となった。

終戦後母親が再婚

 戦時中は新潟で疎開生活を送り、終戦後東京に戻ると母親が再婚。再婚後妹が生まれたため三姉妹の次女として育つ。カトリック系の私立小学校に入学したが、自身の希望で4年生で公立校に転校した。母親は病院に勤務したのち、日出子が中学生の時に内科小児科医院を開業している。

高校の演劇部で江守徹と同期

 北園高校進学後演劇部に入部。同期に江守徹もいたが、小難しい演劇論に馴染めず1年で退部。しかし芝居への憧れは消えず、高校3年の時に姉に連れられて観た『劇団俳優座』の舞台に感動し、俳優座付属俳優養成所の試験を受験。合格し、62年に第14期生として入所した。同期に串田和美、清水紘治、原田芳雄らがいる。

劇団自由劇場を旗揚げ

 遊んでばかりで、3年間の養成所の授業にはほとんど出なかったというが、卒業公演『にんじん』での演技が評価され、卒業後劇団『文学座』に入団。しかし1本舞台に出演しただけで1年で退団し、66年に串田和美、地井武男、村井国夫(現・村井國夫)、清水紘治らと劇団『自由劇場』を旗揚げした。

上海バンスキング

 79年初演の『上海バンスキング』で主役の正岡まどかを好演。『上海バンスキング』は再演を重ねる大ヒット作となり、吉田も人気を獲得。個性派女優女優として活躍し、89年の映画【 社葬 】では日本アカデミー賞助演女優賞を受賞した。『自由劇場』は『オンシアター自由劇場』に改称した後、96年に解散している。

高次脳機能障害

 07年、出演予定だった舞台を降板。当時は「体調不良のため」としていたが、実際は「高次脳機能障害」により、セリフを覚えられなくなったためだと14年の著書【 私の記憶が消えないうちに 】で告白している。飼い犬の散歩中、駆け出した犬に引っ張られ公園のトイレの壁に顔を強打したことが原因だと思われるという。

関連人物

村井國夫

LAST UP 2020/07/30