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越谷章(こしや あきら)

東レアローズ女子バレーボール部監督。1979年6月12日生、神奈川県出身。順天堂大学卒業。身長185cm、体重76kg。現役時代のポジションはウイングスパイカー。

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兄の影響で中学でバレーを始める

 二人兄弟の次男として生まれたが、1歳の時に父親が死去し、母親の女手一つで育てられる。

神奈川代表に選ばれ

 父親代わりで憧れでもあったという6歳上の兄の影響で、中学校入学後バレーボールを始める。強豪校ではなく練習も1時間半だけだったが、それでも抜群の運動神経でめきめき上達し、3年生の時に神奈川代表に選ばれ、さわやか杯(全国都道府県対抗中学大会)で優勝。

名将・蔦宗浩二のもと

 当時の名門・釜利谷高校に進学して名将・蔦宗浩二監督のもとで厳しい練習に打ち込み、2年生で春高準優勝、3年生のインターハイでは優勝を飾る。順天堂大学でも入学直後からレギュラーとして活躍した。

東レアローズ入団

 02年に東レアローズに入団し、02-03年の第9回Vリーグで新人賞を受賞。03年には全日本デビューも果たし、04-05年の第11回Vリーグでは優勝に貢献。

一時は引退を考えたが

 得意のサーブレシーブを武器に活躍し、卓越した技術で天才とも言われたが、06年に右ひじを手術。翌年は脊髄の神経内に見つかった腫瘍の手術を受け、一時は引退を考えるも、07/08V・プレミアリーグで復活を果たしてレシーブ賞を受賞。08/09には4年ぶりの優勝に貢献し、09/10にはサーブレシーブ賞を受賞。12年には8年ぶりの全日本復帰を果たした。

ロンドン五輪出場ならず現役引退

 しかし12年ロンドンオリンピック世界最終予選で敗退し、五輪出場ならず。同大会を最後に現役を引退し、同年8月、東レアローズ女子バレーボール部コーチに就任。

監督就任

 20年5月、東レアローズ監督就任が発表された。

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LAST UP 2020/05/15

千葉進也(ちば しんや)

堺ブレイザーズ部長。元バレーボール選手。1977年12月5日生、神奈川県出身。順天堂大学卒業。身長186cm、体重80kg。ニックネーム:シンヤ。

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中学でバレーを始める

 中央大学バレー部出身の父とバレー経験者の母の勧めで、中学校でバレーボールを始める。小学生の頃はサッカーをやっていたが、中学校にサッカー部がなく、バレー部を勧められたと言う。

名門・釜利谷高校に進学

 入学した地元の大道中学校は当時バレー強豪校で、3年生の時に全国大会でベスト8に入り、当時の名門・釜利谷高校に進学。名将・蔦宗浩二監督のもとで厳しい練習に打ち込み、その頃培ったものがその後のプレーを支えたと言う。

VリーグMVP

大学時代は関東大学リーグで活躍。1年生からレギュラー入りして新人賞を受賞すると4年生の時にはリーグ優勝を果たし、卒業後はVリーグ・堺ブレイザーズで活躍。02年には世界選手権の全日本に選出され、04年にはブレイザーズの主将に就任。05-06年の第12回Vリーグではチームを優勝に導きMVPを受賞した。

4年ぶりに全日本復帰

 Vリーグでの活躍が認められ、06年に4年ぶりに全日本に復帰。07年のワールドリーグでは全日本の主将を務めたが、北京五輪最終予選のメンバーには選ばれず、北京オリンピック代表にも選出されなかった。

ミスターバレーセンス

 身長186cmとバレー選手としては小柄ながら「ミスターバレーセンス」と呼ばれるほどの高い技術で活躍し、08年7月にはグラビアアイドルの番ことみと結婚。

現役引退

 しかし09年1月、試合中に右アキレス腱断裂の大怪我を負う。その後は復帰に向けてリハビリに励んでいたが同年10月、復帰を断念し現役を引退した。今後は社業に専念するという。

堺の部長に

 19年7月、堺ブレイザーズの部長に就任した。

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LAST UP 2020/03/07

高橋みゆき(たかはし みゆき)

元バレーボール選手。1978年12月25日生、山形県出身。山形市立商業高校卒業。身長170cm。ニックネーム:シン。

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父は元実業団選手

 4人兄弟の2番目、長女として生まれる。父・正さんは元実業団バレー選手で、家族でチームを作れるよう4人の子供をもうけたという。

セッター転向を求められたが

 正さんが監督のスポーツ少年団で小学1年から本格的にバレーを始める。厳しい指導で卓越した技術を身に付け、高校時代も正さんがバレー部コーチを務めて春高に2度出場。いずれもベスト16止まりだったものの技術を高く評価されて多くの実業団から誘われたが、ほとんどが低身長を理由にセッター転向を要請したのに対し、子供の頃からのポジションであるレフトでの起用を明言したNECの葛和伸元監督(当時)に心を動かされ、97年にNECレッドロケッツに入団。

五輪出場を逃す

 レギュラーに定着した99-00年の第6回Vリーグで優勝に貢献し、新人賞を受賞。2000年には全日本に初選出されたが、同年のシドニー五輪最終予選で敗退し、日本女子バレー史上初めてオリンピック出場を逃した。

VリーグMVP

 02-03年の第9回Vリーグで優勝に貢献してMVPを受賞。03年に柳本晶一が全日本監督に就任するとライトにコンバートされ、『世界が恐れるニッポンの元気印』のキャッチフレーズでムードメーカーとしても活躍。2大会ぶりの五輪出場に貢献した(04年アテネ五輪は5位)。

イタリア移籍

 05年のワールドグランプリでは得点王を獲得。05年8月、NECが選手育成のために創設した「海外派遣制度」の第一号として、イタリアプロリーグ・セリエA1のビチェンツァに1年間の期限付きで派遣されると中心選手として活躍し、人気も獲得して派遣期間が1年延長。

タレントに転身

 07年9月、派遣期間終了によりNECに復帰。08年北京五輪は準々決勝で敗退し、2大会連続の5位。09年6月に契約満了によりNECを退団、エイベックス・マネジメントと契約を結んでタレントに転身した。

現役復帰

 11年11月、V・プレミアリーグのトヨタ車体クインシーズに入団。現役復帰したが、12年4月に退団。

結婚・出産

 15年4月に一般男性と結婚。18年7月に第一子となる男児を出産した。

関連人物

柳本晶一

LAST UP 2020/02/22

米山裕太(よねやま ゆうた)

バレーボール選手:東レアローズ所属。1984年8月29日生、埼玉県出身。日本体育大学卒業。ポジション:アウトサイドヒッター。身長185cm、体重83kg。ニックネーム:ヨネ。

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兄弟でバレー選手

 4人姉弟の長男として生まれる。弟はサントリーサンバーズで活躍した元Vリーガーの米山達也。

高校時代には戻りたくない

 両親の影響で、小学1年で『嵐山ガッツジュニア』に入団してバレーを始める。以降遊ぶ時間がないほど練習漬けの日々を送ったものの、中学時代は一転してさほど厳しくないバレー部で活動。しかし地元の強豪・坂戸西高校に進学すると、『高校時代には絶対に戻りたくない』と語るほど毎日厳しい練習に打ち込み、同じ埼玉のライバル・金子隆行(当時深谷高校、現サントリーサンバーズ)としのぎを削った。

東レアローズ入団

 日体大進学後は1年生でレギュラー入りし、4年生ではキャプテンを務め、07年に東レアローズに入団。08年の黒鷲旗でベスト6を受賞。09年に初選出されてからは全日本に定着、同年のグラチャンでは32年ぶりの4大大会のメダル(銅)を獲得に貢献した。

主将に就任

 11年の黒鷲旗で優勝して黒鷲賞(MVP)とベスト6を受賞。11/12V・プレミアリーグでは準優勝に貢献して敢闘賞とレシーブ賞を受賞。12年から3シーズン東レアローズのキャプテンを務めた。

コーチ兼任

 篠田歩新監督のもと、19-20シーズンから選手兼任コーチとなった。

関連人物

篠田歩 髙橋健太郎 富松崇彰 藤井直伸

LAST UP 2020/01/29

宮下遥(みやした はるか)

バレーボール選手:岡山シーガルズ所属。1994年9月1日生、三重県出身。大阪国際滝井高校卒業。ポジション:セッター。身長177cm。ニックネーム:ハルカ。

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アニメ髙橋藍物語

二人姉妹の長女

 三重県桑名市に生まれる。1歳下の妹と二人姉妹。ママさんバレーをやっていた母親の影響で小学1年でバレーを始める。

親元を離れ大阪へ

 小学6年の時に福井県で行われた招待試合に出場。そこでのプレーがきっかけとなり、強豪・大阪国際大和田中学校の練習に参加。進学の誘いを受けるも一度は断ったが、誠意に心を動かされ、小学校卒業と同時に親元を離れて大阪へ渡り、同校へ進学した。

史上最年少デビュー

 入学後それまでのアタッカーからセッターに転向。かねてからセッターとしての才能に目を付けていたVリーグ・岡山シーガルズの河本昭義監督によってシーガルズに選手登録され、09年5月の黒鷲旗に史上最年少の14歳8か月で出場。同年11月には、15歳2ヶ月のVリーグ史上最年少デビューを飾った。この試合では味方選手と交錯し、前歯を2本折るアクシデントにも見舞われている。

黒鷲旗で若鷲賞/Vリーグで敢闘賞

 高校進学後もシーガルズでプレーし、10年の黒鷲旗で若鷲賞(新人賞)を受賞。13/14Vプレミアリーグではチーム史上最高となる準優勝に貢献し、敢闘賞とベスト6を受賞した。 

竹下佳江の後継者

 待望の長身セッターとして、眞鍋政義監督のもと10年に日本代表登録メンバーに初選出。『竹下佳江の後継者』とも目され、14年のワールドグランプリでは銀メダルに貢献、優勝したブラジルのギマラエス監督からも高く評価された。

リオ五輪に出場

 16年はリオデジャネイロ五輪に出場(日本は5位)。17年に就任した中田久美監督のもとでも日本代表に選出される。

東京オリンピックに向けて

 19-20 V.LEAGUE DIVISION1で準優勝に貢献。Vリーグ栄誉賞(10シーズン以上、230試合以上出場)を受賞した。2020年度日本代表登録メンバーにも選ばれている。

関連人物

竹下佳江 中田久美 山口舞

LAST UP 2020/01/28

荒木絵里香(あらき えりか)

元バレーボール選手。生年月日:1984年8月3日。岡山県倉敷市出身。ポジション:ミドルブロッカー。身長186cm。成徳学園高校卒業。ニックネーム:エリカ。血液型:O型。

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家庭は体育会系

 父は元ラグビー選手、母は元体育教師という体育会系の家庭に生まれる。幼い頃はスイミングクラブに通って厳しい練習に打ち込んだ。そのクラブにはかつて南克幸(元男子バレー日本代表)も通っていたと言う。

大山加奈と高校三冠

 長身を買われて小学5年でバレーに転向。全国都道府県対抗中学大会でオリンピック有望選手に選ばれ、名門・成徳学園高校(現下北沢成徳高校)に進学。大山加奈らと2年生の時に同校初の春高優勝を果たすと、インターハイ、国体も制して高校三冠を達成した。同学年には栗原恵、有田沙織(元上尾)らが揃い『メグカナ世代』とも呼ばれる。

Vリーグ最高記録

 03年に東レアローズに入団。1年目から中心選手となり、同年の第10回Vリーグでベスト6を受賞。07/08V・プレミアリーグでは東レの初優勝に貢献し、MVPを初受賞。スパイク賞、ブロック賞、ベスト6も受賞し、アタック決定率では先野久美子の53.4%を8年ぶりに塗り替える54.69%のVリーグ日本人最高記録を樹立した。

イタリア移籍

 05年のワールドグランプリで全日本デビューし、06年からレギュラー定着。08年北京五輪は5位に終わったが、ベストブロッカーを獲得。五輪後イタリアのプロリーグ・セリエAの強豪ベルガモにレンタル移籍し、09年5月までプレーした。

全日本キャプテン

 09年5月に眞鍋政義監督のもと新生全日本『火の鳥NIPPON』のキャプテンに就任。09年10月に東レに復帰し、09/10V・プレミアリーグで3連覇に貢献してスパイク賞とベスト6を受賞。10年の世界選手権では32年ぶりのメダル(銅)を獲得した。

 10/11V・プレミアリーグは東日本大震災の影響で打ち切りとなって準優勝に終わったが、11/12は2年ぶり4回目の優勝に貢献して2回目のMVPを受賞。ブロック賞、ベスト6、Vリーグ栄誉賞(個人賞多回数受賞)も受賞した。

ロンドン五輪銅メダル

 12年ロンドン五輪で28年ぶりの銅メダルを獲得。12/13V・プレミアリーグは準優勝に終わるも、敢闘賞、スパイク賞、ブロック賞、サーブ賞、ベスト6を受賞。13年5月に全日本キャプテンを木村沙織と交代。

結婚出産からの復帰

 13年6月、ラグビー選手の四宮洋平と結婚。10月に東レを退社し、14年1月に第一子の女児を出産。上尾メディックスに入団し、出産から5か月で現役復帰。14/15、15/16と2年連続でV・プレミアリーグ、ブロック賞を受賞。16年には4年ぶりに全日本に復帰した。

トヨタ車体移籍

 16年6月に上尾を退団し、トヨタ車体クインシーズに移籍。16年リオ五輪は5位。16/17V・プレミアリーグではブロック賞とベスト6を受賞。全日本でも17年のアジア選手権で10年ぶりの優勝に貢献した。

 チーム史上最高の3位だった17/18V・プレミアリーグではブロック賞、ベスト6を受賞。

 19-20 V.LEAGUE DIVISION1では杉山祥子の持っていた通算ブロック決定本数「1042」の日本記録を更新。チームの5位に貢献し、2年ぶり11回目のベスト6を受賞した。

東京オリンピックに向けて

 2020年度日本代表登録メンバーに選ばれ、岩坂名奈に代わり、主将に復帰した。

 20-21V.LEAGUE DIVISION1では山口舞が持っていた通算出場セット数記録1317を更新。3年ぶり8回目のブロック賞も受賞した。

東京オリンピック

 自身4大会連続の五輪となった21年東京オリンピックでも主将を務めたが、1次リーグ敗退だった。

現役引退

 東京五輪を最後に現役を引退。今後はトヨタ車体のチームコーディネーターとして普及活動などに携わるほか大学院進学も視野に入れているという。

関連人物

岩坂名奈 大山加奈 木村沙織 栗原恵
2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/10/06

小幡真子(こばた まこ)

バレーボール選手:JTマーヴェラス所属。生年月日:1992年8月15日。熊本県上天草市出身。日本体育大学卒業。身長164㎝。ポジション:リベロ。血液型:B型。

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小学4年でバレーを始める

 山と海に囲まれた熊本県上天草市で生まれ育つ。かつて久光製薬のバレー部に所属した母親の影響で小学4年でバレーを始める。子供の頃から運動神経抜群で、陸上800mで熊本県3位になったこともあるという。

熊本県選抜から落選

 中学時代は3年間バレー漬けの生活を送る。ポジションはライトだったものの低身長ゆえレシーブを磨いて攻守に活躍し、九州大会に出場。しかしJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)の熊本県選抜から落選し、この挫折が成長の糧になったという。

リベロ転向

 名門・九州文化学園高校に進学。入部当初はライトもレシーブ力を買われてリベロでの出場も多く、高校2年で本格的にリベロ転向。全国優勝はならなかったが、インターハイでは3年連続ベストリベロ賞を受賞した。

全日本インカレ優勝

 日体大では4年生の時にキャプテンとして21年ぶりの全日本インカレ優勝を達成し、MVPとベストリベロ賞を受賞。15年1月、当時チェレンジリーグに降格していたJTマーヴェラスの内定選手となる。

JTマーヴェラス入部

 15年5月に就任した吉原知子監督のもと、1年でV・プレミアリーグ昇格。16年の黒鷲旗では優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞した。

 18-19シーズンからはキャプテンを務め、19-20V.LEAGUE DIVISION1で9シーズンぶり2度目の優勝に貢献、3年連続3回目のベストリベロ賞を受賞した。

MVPを受賞

 20-21V.LEAGUE DIVISION1では連覇に貢献し、初の最高殊勲選手賞を受賞。4年連続4回目のベストリベロ賞、初のサーブレシーブ賞も受賞した。

日本代表

 中田久美新監督のもと17年に日本代表に初選出され、同年のアジア選手権で10年ぶりの優勝に貢献、ベストリベロ賞を受賞した。

東京オリンピック

 自身初の五輪となった21年東京オリンピックは1次リーグ敗退だった。

関連人物

中田久美 吉原知子
2021年度女子日本代表メンバー

LAST UP 2021/08/19

吉原知子(よしはら ともこ)

JTマーヴェラス監督。生年月日:1970年2月4日。北海道出身。妹背牛商業高校卒業。現役時代のポジション:ミドルブロッカー。身長180cm。ニックネーム:トモ。

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バレーの町・妹背牛町に生まれ

 バレーの町として知られる北海道の妹背牛(もせうし)町に生まれ、妹背牛中学校入学後バレーを始める。道内トップレベルの強豪ゆえのスパルタ式の過酷な練習に耐え、1年生から全国中学生大会に出場。3年生の時には中学選抜に選ばれた。

名将・山田重雄に見込まれ

 妹背牛商業高校時代は3年連続でインターハイに出場し、3年生の時に全日本に初選出。進学も考えていたが、日立黄金時代を築いた名将・山田重雄監督から直々にスカウトされ、88年に日立入社。

日本No.1センター

 日本No.1センタープレーヤーとして日立、全日本で活躍し、92年バルセロナ五輪にも出場(5位)。しかし94年にプロ化を巡ってチーム内に混乱が生じ、11月に大林素子と共に突然日立を解雇される。寮からも即日退去を命じられるショックもあったが、活躍の場を海外に求め、95年1月に大林とともにイタリアのプロリーグ・セリエAのアンコーナに入団、日本人初のプロバレーボール選手となった。

日本人初のプロ選手として

 外国人枠により出場機会に恵まれずにいたものの、2月に移籍したローマではレギュラーとして活躍。人気も集めていたが、当時Vリーグ所属の選手しか全日本に選出されない規定があったため、アトランタ五輪を目指して同年5月に帰国し、ダイエーオレンジアタッカーズに入団。

年齢制限で全日本を外れ

 大きな影響を受けたというアリー・セリンジャー監督のもとで、96年アトランタ五輪にも出場(9位)。99年に東洋紡オーキスに移籍し、99-00年の第6回Vリーグでは敢闘賞、ベスト6を受賞。しかし当時全日本が若返りのために設けていた年齢制限に引っかかり、シドニー五輪予選のメンバーには選ばれず、日本も正式競技となった64年東京五輪以降初めて出場権を逃した。

7年ぶりに全日本復帰

 02年5月に東洋紡バレー部の廃部によりパイオニアレッドウィングスに移籍すると、03年に就任した柳本晶一監督のもとで7年ぶりに全日本に復帰し、主将に就任。プレーだけでなく精神的支柱としてもチームを引っ張り、2大会ぶりとなるアテネ五輪出場権獲得に大きく貢献した(アテネ五輪は5位)。

優勝請負人

 所属した国内4チーム全てで優勝を経験して「優勝請負人」と呼ばれ第7回VリーグではMVPを受賞。五輪3大会に出場するなどトッププレーヤーとして活躍し、06年5月に現役を引退した。

 引退後はスポーツコメンテーターとして活躍する一方、09年に筑波大学大学院に入学。体育学を専攻し、11年に修士課程修了。

JT監督に就任

 15年6月にJTマーヴェラスの監督に就任。就任1年でV・チャレンジリーグⅠからV・プレミアリーグに昇格。16、18年には黒鷲旗優勝に導いた。

令和最初のVリーグ女王に

 19-20V.LEAGUE DIVISION1で9シーズンぶり2度目の優勝を飾り、令和最初のVリーグ女王に輝くとともに、個人でも優勝監督賞と松平康隆賞を初受賞した。

 20-21シーズンは皇后杯でチーム初優勝を飾ると、V.LEAGUE DIVISION1では2連覇を飾り、2年連続で優勝監督賞と松平康隆賞を受賞した。

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大林素子 荻野正二 小幡真子 柳本晶一

LAST UP 2021/08/03

篠田歩(しのだ あゆむ)

東レアローズ男子バレーボール部監督。1979年12月14日生、千葉県出身。筑波大学卒業。身長195cm、体重82kg。ポジション:ミドルブロッカー。ニックネーム:シノ。

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中学でバレー部に

 背が高かったため中学校入学と同時にバレーボールを始める。バスケ部もあったが、バレー部の方が先輩が怖くなさそうだったから入部したと言う。

長身ゆえ強豪校から誘われ

 強豪校ではなく目立った活躍はしていないが、長身に目をつけたいくつかの高校から誘われ土浦日大高校に進学。1年生から試合出場するも初めは対戦相手も呆れるほど下手だったが、厳しい練習で実力を身に付け、2年生の時にインターハイでベスト8に入って全日本ユースに選出。

東レ入団

 翌年には全日本ジュニアに選ばれて名門・筑波大学に進学し、全日本インカレ優勝も経験して02年に東レ入団。2年目にレギュラーを獲得し、04年には全日本に初選出されてワールドリーグに出場。04-05年Vリーグは膝痛でチームの初優勝には貢献できなかったが、05年には人生で初めてというキャプテンに就任。

 闘志溢れるプレーでチームを引っ張り、07/08V・プレミアリーグで敢闘賞を受賞すると、08/09は4年ぶりの優勝に貢献。09年黒鷲旗では敢闘賞とベスト6賞を受賞した。

 キャプテンは10年に阿部裕太に譲ったが、熱い気迫でチームを鼓舞し続け、12年度の全日本登録メンバーにも選ばれた。

東レ監督就任

 14年5月の黒鷲旗を最後に現役を引退し、東レのコーチに就任。14/15V・プレミアリーグでは所属選手の不祥事により、シーズン途中に小林敦監督が活動停止処分を受けたため監督代行を務めた。19年6月、東レの監督に就任した。

妻は北陽の伊藤さおり

 10年には5年の交際を経てお笑いコンビ「北陽」の伊藤さおりと結婚。篠田が5歳下で身長差は38センチあるという。

関連人物

髙橋健太郎 富松崇彰 藤井直伸 米山裕太

LAST UP 2019/11/16

松本慶彦(まつもと よしひこ)

バレーボール選手:堺ブレイザーズ所属。1981年1月7日生、長野県出身。中央大学卒業。身長193cm、体重77kg。ポジション:ミドルブロッカー。

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アニメ山内晶大物語

父は戸隠松本製麺社長

 長野県長野市に3人姉弟の長男として生まれる。父親は信州そばを製造する「戸隠松本製麺」の社長。

名門岡谷工業初の春高優勝

 中学進学後バレーボールを始めるも、並行して取り組んだスキーに力を入れていたが、長身を買われて長野選抜に選ばれたのをきっかけに、名門・岡谷工業高校に進学。本格的にバレーに打ち込むと1年生でレギュラー入りし、抜群のジャンプ力でエースアタッカーとして活躍。98年に同校初の春高優勝を果たす。

大学3年でセンター転向

 しかし大学バレーに進むとアタッカーとしての限界を感じ、一時は辞めることも考えたが、3年生の時に監督の勧めでセンターに転向。再びバレーに打ち込み、03年にNEC入社。

北京五輪出場

 最高到達点358cmの日本屈指のジャンプ力を生かしてNECブルーロケッツで活躍し、05-06年の第12回Vリーグではベスト6賞、スパイク賞を受賞。全日本では07年のワールドカップでレギュラーを獲得し、翌年は16年ぶりの五輪出場権獲得に貢献、08年北京五輪にも出場した(5戦全敗の1次リーグ敗退)。

堺移籍も同意書が得られず

 五輪後の10月、バレースタイルの違いからNECを退社。堺に移籍するも移籍同意書が得られず、規定により08/09V・プレミアリーグには出場できなかったが、09年のグラチャンでは全日本男子32年ぶりとなる4大大会でのメダル(銅)を獲得した。

 10/11V・プレミアリーグでは5年ぶりの優勝に貢献、11年の黒鷲旗では準優勝してベスト6を受賞。13/14に通算230試合出場を達成してVリーグ栄誉賞を受賞した。

日本記録更新

 18-19V.LEAGUEレギュラーラウンドで通算出場セットが1189となり、通算出場セット数日本記録を更新。従来の記録は酒井大祐(JT/サントリー)の1183。

 19年11月のウルフドッグス名古屋戦で通算出場試合数が353となり、通算出場試合数日本記録を更新した。従来の記録は山村宏太の352。

夫人も元バレー選手

 なお夫人の小由樹さん(旧姓:安武)もかつて日立で活躍した元バレー選手で、男児をもうけている。

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千葉進也 山村宏太

LAST UP 2019/11/11