元プロ野球選手:投手。生年月日:1988年6月6日。群馬県出身。早稲田大学教育学部卒業。身長176cm、体重77kg。右投右打。
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元高校球児の父親のもと
二人兄弟の次男として生まれる。元高校球児の父親のもと幼い頃から野球に取り組み、小学1年で少年チームに入団。3年生からは父親の指導で筋力トレーニングにも励み、5年生の時にエースとして県大会ベスト8。
中学3年の時にエースで3番、キャプテンとして県大会準優勝、関東大会ではベスト8に入って「県内最速右腕」として注目を集めた。中学時代は監督が野球に詳しくなかったため試合中は自分達でサインを出し合い、ユニフォームを新調した際は自分でデザインを考えたと言う。
ハンカチ王子
桐生第一や前橋育英など地元群馬の強豪校からの誘いもあったものの、両親の勧めもあって東京の名門・早稲田実業に進学。初めは自宅から2時間以上かけて通学していたが、入学2ヶ月後に学校近くのアパートで兄と二人暮しを開始。
3年春に自身初の甲子園出場(ベスト8)を果たすと、夏の大会ではハンカチで汗を拭く姿から『ハンカチ王子』として注目を集め、決勝では駒大苫小牧のエース・田中将大と投げ合って延長15回引き分け。翌日の再試合で勝利し、同校初の夏の甲子園優勝を果たした。同大会で記録した78奪三振は板東英二(徳島商業)の83に次ぐ歴代2位。
第100代早大野球部主将
進路が大きな注目を集めたが進学を表明し、07年に早大に入学。名将・應武篤良監督のもと入学直後の東京六大学野球春季リーグで開幕投手を務めて初勝利を飾ると、同リーグでは1年生投手初のベストナインを受賞。6月の全日本大学選手権では優勝に貢献し、1年生では史上初となるMVPを獲得した。
その後もエースとして活躍し、ベストナインを3度受賞。09年11月には第100代早大野球部主将に就任し、背番号を1から10に変更。10年秋季にはリーグ史上6人目の30勝300奪三振を達成した。
4球団が1位指名で競合
同年のドラフト会議ではヤクルト、ロッテ、ソフトバンク、日本ハムの4球団が1位指名で競合し、交渉権を獲得した日本ハムに入団。11年4月にプロ初登板を初勝利で飾る。最後の一人をファン投票で選ぶ「プラスワンチャレンジ」でオールスターにも出場し、シーズン6勝をあげる。12年は開幕投手の大役をプロ初完投勝利で飾り、初完封もあげたものの、不振が続いて2軍落ちも経験し、5勝に終わった。
2年連続勝ち星なし
13年は1試合のみの登板(1敗)。14年は2勝、15年は1勝、16年は0勝。陽岱鋼の巨人移籍により、背番号を18から1に変更した17年は5月に623日ぶりの勝利を挙げたが、シーズン1勝のみにとどまり、18、19年と2年連続勝ち星なしに終わる。19年12月に一般女性と結婚したことを発表した。
現役引退
20年はプロ入り後初の1軍登板なしに終わり、10月に右肘内側側副じん帯断裂が判明。手術ではなく、PRP療法を選択。21年シーズン限りで現役を引退した。
株式会社斎藤佑樹を設立
21年12月、株式会社斎藤佑樹を設立したことを発表した。
プロ通算成績
89試合15勝26敗0セーブ 防御率4.34 奪三振209。
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LAST UP 2021/12/11