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織田信成(おだ のぶなり)

プロフィギュアスケーター、スケートコーチ。1987年3月25日生、大阪府出身。関西大学大学院文学研究科博士課程前期課程修了。身長164cm、体重52kg。戦国武将・織田信長の末裔、信長から数えて17代目の子孫を自称している。

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スポーツで成功するには才能努力運と、もう一つ

日本男子二人目の世界ジュニア制覇

 スケートコーチの母・憲子さんの指導で、7才からフィギュアスケートを始める。小・中学生時代は目立つ選手ではなかったが、阿武野高校時代に頭角を現す。04年夏のカナダ留学でリー・バーケルコーチの指導を受けて一層飛躍し、04-05年シーズンに全日本ジュニア選手権優勝。高橋大輔以来日本男子二人目の世界ジュニア選手権優勝も果たし、織田信長の末裔として注目を集めた。

採点ミスで2位に繰り下げ

 05年に関西大学に進学し、憲子さんもアイススケート部コーチに就任。05-06年シーズンから本格的にシニアに参戦し、NHK杯でグランプリ(GP)シリーズ初優勝を果たすと、トリノ五輪代表選考を兼ねた全日本選手権でも優勝。しかし表彰式後に採点ミスが発覚して2位に繰り下げられ、1位になった高橋大輔が五輪代表に選ばれた。なお結婚した姉の現在の姓は鳥野(とりの)だという。

酒気帯び運転で出場停止

 その後の四大陸選手権で優勝し、世界選手権は初出場で4位。06-07年はGPファイナルで銅メダルを獲得したが、07年7月、酒気帯び運転で摘発され出場停止処分を受ける。処分が解けた後も活動を自粛し、同年の全日本選手権を欠場した。

全日本選手権初優勝

 08年5月の韓国のアイスショーで約1年ぶりに公の舞台に立つと、8月のアメリカの競技会で実戦復帰。08-09年は3連覇中の高橋大輔が怪我で欠場する中、新鋭・小塚崇彦を破って全日本選手権初優勝。四大陸選手権は4位、世界選手権は7位に入ってバンクーバー五輪日本男子出場枠3の獲得に貢献。日本代表キャプテンを務めた第1回世界国別対抗戦では男子3位となり、日本も3位だった。

靴ひもがほどけるアクシデント

 09-10年はGPシリーズ2連勝で臨んだファイナルで日本人最高の2位になり、全日本選手権は高橋に次ぐ2位。悲願の初出場となったバンクーバー五輪はSPで4位につけたが、続くフリーで演技途中に切れていた靴ひもがほどけるアクシデントもあって7位にとどまる。世界選手権はジャンプの不調でSP28位に終わり、フリーに進めなかった。

結婚、第一子誕生

 10年4月に中学時代の同級生と結婚し、10月に第一子の長男が誕生(現在は3児の父)。10-11年はGPシリーズで2大会連続2位になり、ファイナルも2位。全日本選手権も小塚に次ぐ2位、世界選手権はジャンプの規定違反もあって6位に終わった。なお08年春から大学を休学していたが10年に復学。11年に卒業して大学院に進んでいる。

 11-12年はGPファイナル進出ならず、全日本選手権は左ひざの怪我で欠場。12-13年はGPファイナル進出ならず、全日本選手権は4位に終わり、世界選手権出場はならなかった。

現役引退

 13-14年はGPシリーズポイントランキングは7位だったが、怪我で欠場した高橋大輔に代わって3シーズンぶりのファイナルに出場し3位。全日本選手権は4位でソチ五輪出場ならず。四大陸選手権代表に選ばれたが辞退し、現役を引退した。

モラハラ問題

 アマチュア引退後はプロスケーターのほかタレントとしても活躍し、17年4月には母校・関西大学アイススケート部の監督に就任。しかし19年9月にアイススケート部監督兼コーチの退任を関西大学が発表。多忙が理由としたが、織田自身はブログでモラハラがあったと主張した。 

関連人物

小塚崇彦 高橋大輔

LAST UP 2019/10/05