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中島誠之助(なかじま せいのすけ)

古美術鑑定家、エッセイスト。1938年、東京都生まれ。日本大学卒業。

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1歳で両親が病死

 1歳の時に両親が相次いで病死し、遠縁の養子となる。裕福な家庭だったが空襲の被害を受け、10歳で茶道具の目利きとして知られた骨董商の伯父・中島文吾のもとに移り、実子5人と実兄とともに育てられた。

マグロ漁船の乗組員に

 芝中学、高校を経て日本大学に進学し、入学と同時に正式に中島家の養子となる。大学時代に外国に憧れるも当時はまだ海外旅行が困難で、卒業後マグロ漁船の乗組員となって半年間インド洋で漁に従事した。その際漁船を紹介してくれたのは後の総理大臣・鈴木善幸だという。

古伊万里の値を決める男

 帰国後養父の経営する「中文商店」で骨董修業を開始。目利きを磨いていたが、67年に養父が死去したため翌年独立して西麻布に「中島美術店」を開業。76年に南青山に移り、古伊万里染付専門店「骨董屋からくさ」を開くと、婦人雑誌の料理コーナーに取り上げられて反響を呼び、売れに売れ、それまで評価されていなかった古伊万里磁器を世の中に広めて「古伊万里の値を決める男」と呼ばれた。

 80年には歌手・真咲みどりの【 南青山骨董通り 】の作詞を担当、青山の「骨董通り」の名付け親としても知られる。

「いい仕事してますね」

 テレビ番組『開運!なんでも鑑定団』には94年の第1回の放送から出演し、現在もレギュラー出演中。「いい仕事してますね」の名文句で96年度のゆうもあ大賞を受賞している。

骨董屋からくさを閉店

 2000年に「骨董屋からくさ」を閉店して骨董商を引退し、現在は古美術鑑定家、エッセイストとして活躍。なお64年に結婚して3人の子供をもうけ、長女は陶磁研究家の森由美。

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LAST UP 2021/02/22