プロフィギュアスケーター。生年月日:1987年12月18日。愛知県名古屋市出身。中京大学体育学部卒業。身長162cm。血液型:A型。
- ワダマメちゃんねる
- 遅めのスタートも
- 女子世界初の4回転ジャンプ
- ジュニアタイトルを総なめ
- アイドル的人気も取材攻勢に嫌気が
- 日本人4人目の世界女王に
- 4年ぶり2度目の世界女王
- 女児を出産
- 娘とテレビ共演
- 関連人物
- 作品
ワダマメちゃんねる
遅めのスタートも
8歳でフィギュアスケートを始める。フィギュア選手としては遅めのスタートだったが、すぐに才能を認められて門奈裕子コーチの本格的な指導を受け、次々と高度な技をマスター。「ジャンプの天才」として期待を集める。なおスケートを始めた直後に父親が交通事故で死去している。
女子世界初の4回転ジャンプ
門奈のもとは4年で離れ、その後は地元・名古屋で小塚幸子(小塚崇彦の母)、週末は新幹線で横浜に通って佐藤信夫・久美子の指導を受け、01年に全日本ジュニア、ジュニアグランプリ(JGP)ファイナルで優勝し、初出場の全日本選手権でも3位。翌02年12月に特別出場したNHK杯のエキシビジョンで4回転サルコウを決めると、2週間後のJGPファイナルでも成功。女子選手世界初の公式戦4回転ジャンプを決め、ギネスブックにも登録された。
ジュニアタイトルを総なめ
迎えた03-04年シーズンは全日本ジュニア、JGPファイナル、世界ジュニアとジュニアタイトルを総なめにし、全日本選手権も初優勝、初出場の世界選手権でも4位に入る。なお公式戦で4回転を成功させたのは同全日本選手権(03年12月)が最後。
アイドル的人気も取材攻勢に嫌気が
04年はテレビ番組『トリビアの泉』に出演して話題になり、全日本連覇も達成して『ミキティ』のニックネームでアイドル選手となる。しかし取材攻勢などに嫌気が差し、引退も考えたが、05年に練習拠点をアメリカに移してキャロル・ヘイス・ジェンキンスのコーチを受けると再びスケートに熱中。
日本人4人目の世界女王に
しかし05-06年は3連覇を目指した全日本で6位。トリノ五輪は4回転に挑戦するも失敗して15位に終わり、大会後コーチをニコライ・モロゾフに変更。門奈のコーチも受けて復調し、06-07年はスケートアメリカでグランプリ(GP)シリーズ初優勝を飾り、世界選手権でも初優勝。日本人4人目の世界女王に輝いた。
08年世界選手権は怪我で途中棄権したが、09年は銅メダルを獲得。09-10年はGPシリーズ2連勝を飾り、ファイナルは2位。バンクーバー五輪は5位、世界選手権は4位だった。
4年ぶり2度目の世界女王
10-11年はGPシリーズ2連勝するもファイナルは5位に終わったが、全日本選手権では6年ぶり3度目の優勝。四大陸選手権はフリー(134.76点)、合計(201.34点)ともに自己最高をマークし初優勝。世界選手権でも4年ぶり2度目の優勝を成し遂げた。大会後モロゾフコーチとの師弟関係を解消している。
11-12年は10月のジャパン・オープン出場後、残り試合を欠場。12-13年はグランプリシリーズにエントリーしていたが、コーチ不在による調整不足などを理由に欠場を発表。
女児を出産
13年1月、それまで所属していたトヨタ自動車を退社。7月に『報道ステーション』に出演し、4月に女児を出産していたことを発表。13-14年シーズン限りで引退することも発表し、13年12月、3年ぶりに出場した全日本選手権で7位に終わってソチ五輪出場ならず、現役を引退した。
現在はプロフィギュアスケーターとして活躍、テレビ出演などもこなしている。
娘とテレビ共演
20年8月、テレビ番組『有吉ゼミ』で7歳の娘・ひまわりちゃんと初共演した。「なんで顔を隠すの?」とひまりちゃんにいわれたことが顔出しのきっかけになったという。父親の名前は公表していない。
関連人物
LAST UP 2020/08/09