フィギュアスケート選手:関西大学大学院在学。1986年3月16日生、岡山県出身。身長165cm、体重59kg。(高橋の「高」の字の本来の表記は「髙」)。
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日本男子初の世界ジュニア優勝
4人兄弟の四男として生まれる。3人の兄は少林寺拳法を習っていたが、8歳で一人フィギュアスケートを始める。中学2年から長光歌子の指導を受けて成長を遂げ、01年に全日本ジュニア選手権優勝。02年には日本男子初の世界ジュニア選手権優勝を成し遂げた。
長光コーチの家に住み込み
関西大学時代は長光コーチの家に住み込み、05年にユニバーシアード優勝。四大陸選手権でも3位に入ったが、世界選手権は一緒に出場した本田武史が怪我で途中棄権。トリノ五輪日本男子出場枠「2」獲得には10位以内が条件になったが、15位に終わり、出場枠は「1」となる。
全日本選手権初優勝
05-06年はスケートアメリカでグランプリ(GP)シリーズ初優勝し、初出場のファイナルでも日本男子初の銅メダルを獲得。トリノ五輪代表選考を兼ねた全日本選手権は2位に終わったが、表彰式後に採点ミスが発覚して繰り上げで初優勝となり、五輪代表に選出された(繰り下げ2位は織田信成)。
四大陸で世界歴代最高で優勝
06年トリノ五輪は8位に終わったものの、翌シーズンはGPファイナル、世界選手権の両大会で日本男子初の銀メダルを獲得。07-08年は全日本選手権3連覇を達成、四大陸選手権では世界歴代最高(当時)の264・41点で優勝した。
バンクーバーで日本男子初の銅メダル
しかし08年10月、練習中に右ひざを負傷して手術を受け、08-09年の試合を全て欠場。09年4月に練習を再開し、約1年半ぶりの復帰戦となったフィンランディア杯で優勝。2年ぶりの全日本選手権で4度目の優勝を果たし、バンクーバー五輪では日本男子初の銅メダルを獲得。世界選手権では日本男子初の金メダルを獲得した。
10-11年はGPシリーズで2連勝するもファイナルは4位。全日本も3位に終わったが、四大陸選手権では2度目の優勝。連覇を目指した世界選手権は演技中にスケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われ、5位に終わった。
GPファイナル初優勝
11-12年はGPファイナル初優勝を目指すも2位に終わったが、全日本選手権ではISU非公認ながらSPで96・05点の世界最高を記録、フリーで3度転倒するも2年ぶり5度目の優勝。世界選手権では2度目の銀メダルを獲得し、世界国別対抗戦ではSPで世界歴代最高(当時)の94・00点をマーク。フリー(182・72点)、合計(276・72点)でも自己ベストをマークして男子1位になり、日本の初優勝に貢献した。
12-13年は悲願のGPファイナル初優勝(日本男子初)。全日本選手権は2位(優勝は羽生結弦)、四大陸選手権7位、世界選手権6位。世界国別対抗戦は男子1位になるも、日本は3位だった。
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LAST UP 2013/07/14