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丹道夫(たん みちお)

作詞家、富士そば(ダイタンフード)会長。1935年、愛媛県出身。西条高校定時制卒業。

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父が死去し母が再婚するも

 名古屋で生まれたが、生後すぐに父親が死去したため、母親の実家のある愛媛に転居。その後は芸者をしていた母親に育てられていたが、道夫が4歳の時に丹氏と再婚。弟の誕生を機に義父から冷たい仕打ちを受けるようになり、辛い雑用を押し付けられるようになった。

18歳で上京するも

 中学卒業後高校に進学したが1学期で中退。八百屋や油屋で働くも長続きせず、18歳で憧れの東京に出たが職に就けず、すぐに帰郷。その後再び上京したが乗換えを間違えて福島に着いたため、そのまま福島の工事現場で働きながら夜間高校に通った。

栄養士の免許を取得

 作業が終了したため再度上京し、印刷会社に就職して東京の高校に転校したが身体を壊して愛媛に帰郷。アルバイトをしながら地元の夜間高校を卒業した後、3度目の上京を果たし東京栄養食糧専門学校に入学。栄養士の免許を取得し、病院の栄養士に就職したが父の病気で再び帰郷した。

不動産で成功

 愛媛では自宅で料理教室を開き生徒も集まっていたが現状に満足できず、26歳で4度目の上京。食品会社に勤めた後、知人とともに弁当屋を開業した。順調に売り上げを伸ばしていたが友人の誘いで不動産業に転職し、不動産会社の設立に参加すると当時の不動産ブームに乗って業績を伸ばし、クラブや立ち食いそば屋など飲食業にも進出。

名代富士そば

 その後飲食業を引き継ぐ形で独立し、立ち食いそば、レストラン、不動産業などを営んでいたが72年に「ダイタンフード」を設立し、立ち食いそば「名代富士そば」の経営に専念するようになった。「富士そば」は創業当時から24時間営業を行い、13年には100店舗を達成した。

作詞家として

 経営の一方、93年にかねてからの念願だった作詞学校に入学。作詞を学ぶと97年に「丹まさと」として白鳥みずえの【 母娘舟 】で作詞家デビュー。その後も島津悦子の【 港のかもめ 】や三笠優子の【 ひとり娘 】を手掛けるなど作詞家「丹まさと」としても活躍している。

LAST UP 2019/12/01