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竹原慎二(たけはら しんじ)

タレント、元ボクシング世界チャンピオン。生年月日:1972年1月25日。広島県安芸郡府中町出身。青森山田高校通信課程卒業。身長186cm。

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二人兄弟の次男

 二人兄弟の次男として生まれ、俳優・鶴田浩二やプロ野球選手・山本浩二から「二」の字をとって「慎二」と名付けられる。両親は焼肉屋やスナック、雀荘などを手広く経営していたが、父親がギャンブルで借金を負ってほとんどの店を失い、家に借金取りが押し掛けることもあったという。

原辰徳に憧れて野球を始めるも

 広島出身ながら子供の頃は巨人ファンで、原辰徳に憧れて小学4年でソフトボールチームに入部。キャプテン、4番打者を務め、中学入学後野球部に入部したが、あまり面白くなくてすぐに柔道部に転部。郡の大会で優勝するも、非行に走っていた兄の影響で自身も不良になり、地元では知られた存在になる。

広島の粗大ごみ

 一方で甲子園に憧れ、高校で野球に打ち込むつもりだったが受験に失敗。中学卒業後は塗装工や土木作業員などをしながら暴走族に参加し、「広島の粗大ごみ」を自称する荒れた生活を送る。しかし次第に行く末を案じるようになり、ボクシング経験者の父に勧められ不良から足を洗って16歳で上京、沖ジムに入門してボクシングを始めた。

日本人初のミドル級世界王者

 89年にプロデビューすると無敗で全日本新人王、日本王座、東洋太平洋王座を獲得し、95年にWBA世界ミドル級王者・ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑戦。圧倒的不利の下馬評を覆し、3Rにボディブローでダウンを奪って3-0の判定勝利。日本人には不可能と言われ、挑戦者すらいなかった重量級・ミドル級の世界王座を史上初めて獲得し、日本ボクシングの歴史を塗り替えた。なお東洋タイトルマッチではWダウン(両者同時にダウン)という珍しい記録も残している。

引退後

 96年の初防衛戦でTKO負けを喫して王座から陥落し、網膜はく離を発症して現役を引退。翌年沖ジムの事務員だった香織夫人と結婚し、一男一女をもうける。99年にイタリアンレストラン「カンピオーネ」を開店(06年に閉店)。2000年にはテレビ番組『ガチンコ!』のコーナー「ファイトクラブ」に出演して人気を獲得。プロデュースしたサウナスーツも大ヒットした。

畑山隆則とジムをオープン

 02年には畑山隆則とともに「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」をオープン。なお畑山が在籍していた縁で02年に青森山田高校の通信課程に入学し、05年に卒業している。

膀胱がん

 14年2月に膀胱がんと診断される。最悪の場合余命1年と宣告され、同年6月に膀胱の摘出手術を受けた。順調に回復し、16、17年と2年連続ホノルルマラソンを完走。17年6月には闘病記【 見落とされた癌 】を出版。香織夫人も【 夫・竹原慎二のがんを消したカラダにいい食べ物と習慣43 】を出版している。

現在はYouTuberとしても活躍

 現在は『渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則 公式チャンネル』や『竹原テレビ』でYouTuberとしても活躍している。

プロボクシング戦績

25戦24勝(18KO)1敗。

関連人物

金平桂一郎 畑山隆則

LAST UP 2020/10/31