元プロボクサー。SRSボクシングジム会長。元日本ライト級チャンピオン。元OPBF東洋太平洋ライト級チャンピオン。生年月日:1970年12月30日。福岡県田川市出身。小松原高校卒業。身長170㎝。
- ワダマメちゃんねる
- 生い立ち
- 養護施設「和白青松園」に入所
- 母親、弟との生活
- 高校時代
- プロデビュー
- 平成のKOキング
- 畑山隆則と対戦
- 椎間板ヘルニア
- 現役引退、ジムを開設
- こころの青空基金
- 結婚、長女誕生
- 通算戦績
- 関連人物
- 参考文献
- 作品
ワダマメちゃんねる
生い立ち
幼い頃に両親が離婚。1歳下の弟とともに母親に育てられていたが、小学1年の時に母親が東京へ働きに出たため親戚に預けられる。親戚宅では食事も寝る場所も与えられず、トイレも使わせてもらえず公園で済ませ、暴力も振るわれるなど虐待に遭う。食事は学校給食のみで、川でザリガニやタニシを食べ、時には万引きにも手を染めて飢えをしのいだという。
養護施設「和白青松園」に入所
小学2年冬に、福岡市の児童養護施設「和白青松園」に預けられる。3度の食事と寝る場所のある温かな生活を送ると、その頃テレビで見たボクシングの華やかさに目を奪われ、ボクサーに憧れるようになった。
母親、弟との生活
小学3年の夏に和白青松園を退所。母親に引き取られ、東京に転居。中学時代の一時期母親と弟は福岡へ戻ったが、自身は辛い記憶のある福岡行きを拒否し、一人東京で暮らす。
勉強は全くできなかったが、受験シーズンになると成績優秀な同級生に頭を下げて勉強を教わり、埼玉の私立小松原高校に合格。アパートを借りて弟と二人暮らしを始めた。
高校時代
高校時代は母親の仕送りを受けつつ、ビルの清掃や工事現場のアルバイトで生活費を稼ぎ、バイクも購入。それまでの辛苦を振り払うように友だちとの遊びに明け暮れる。ケンカは好きではなかったが売られたら買い、返り討ちにしたという。
プロデビュー
高校卒業後ボクシングを始める。プロテストに落ちたのを機に、友だちとの関係を切り、タバコもやめて本気でボクシングに向き合い、2度目のテストで合格。91年12月のデビュー戦を1回KO勝ちで飾る。
平成のKOキング
全日本新人王、日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンと着実にステップアップ。ハードパンチでKO勝ちを量産して『平成のKOキング』と呼ばれ、2度世界ライト級王座に挑むもいずれも判定負け。3度目の世界タイトルマッチでは初回に2度のダウンを奪ったが、右目を負傷しドクターストップによる5回TKO負けに終わった。
畑山隆則と対戦
2000年10月には畑山隆則の持つWBA世界ライト級王座に挑戦。大きな注目を集めた一戦は期待にたがわぬ激闘となったが、10回KO負けで4度目の世界挑戦も王座獲得はならなかった。この試合は同年の年間最高試合に選ばれている。
椎間板ヘルニア
畑山戦後椎間板ヘルニアに悩まされるようになる。02年1月の1年3ヵ月ぶりの再起戦は1回KO勝ちを飾るも、02年10月のOPBF東洋太平洋スーパーライト級タイトルマッチは王者の佐竹政一に12回KO負けで東洋太平洋王座2階級制覇ならず。
現役引退、ジムを開設
03年に椎間板ヘルニアを手術。05年5月、2年7ヵ月ぶりの復帰戦は5回TKO負け。06年1月、タイ選手に3回KO勝ちし、3年7ヵ月ぶりの勝利をKOで飾ると、6月の試合でもタイ選手に1回KO勝ちしたが、11月に次戦での引退を発表。07年1月の引退試合は7回終了負傷引き分けだった。
10年に東京都荒川区に『SRSボクシングジム』を開設した。
こころの青空基金
2000年に全国の養護施設の子供たちの支援を目的として「こころの青空基金」を設立。現在講演活動なども行い、子供たちの支援に努めている。
結婚、長女誕生
02年、保育士をしていた女性と8年の交際を経て結婚。08年に長女が誕生している。
通算戦績
47戦39勝(29KO)7敗1分け。
関連人物
LAST UP 2020/07/16