NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督。1972年4月2日生、兵庫県出身。尼崎市立尼崎高校卒業。
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桑田真澄に憧れ
父親の影響で幼い頃に野球を始め、小学2年で少年チームに入団。6年生からピッチャーを始めると桑田真澄に憧れて練習に励み、中学時代はエースとして活躍。
プロの入団テストを受験
高校では1年からベンチ入りするもエースにはなれず、甲子園出場もかなわず卒業後地元の企業に就職。しかし野球を諦めきれず3ヶ月で退社し、その後はアルバイトをしながら練習して同年秋にプロ野球の入団テストを受験。巨人を始め5球団を受け、140キロを超える直球と得意のスライダーを武器に全球団で最終選考まで進んだものの168cmの小柄がネックとなり不合格。しかしプロ入りを諦めず、翌92年に再び4球団を受けると、打撃投手としてオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に採用された。
「イチローの恋人」
迎えた93年の春季キャンプではまだ無名だった鈴木一朗(現・イチロー)のずば抜けた打撃技術に目を奪われる。その後公私に渡って親しく付き合うようになり、210安打のプロ野球記録を樹立した94年は毎日打撃投手を務め、「イチローの恋人」と呼ばれて注目を集めた。なお当時つけていた背番号は102でちょうどイチローの倍。
野村克也の勧めで野手のテストも
イチローの活躍に刺激され、94年シーズン終了後オリックスを退団して阪神とヤクルトのテストを受験。ヤクルトではフィールディングの良さに目を付けた当時の野村克也監督の勧めで野手のテストも受け、高評価を得たが惜しくも入団には至らなかった。
トレーナーに転身
その後阪神、西武で打撃投手を務め、96年にプロ野球界を引退。トレーナーに転身して中学・高校などでトレーニング指導を行ったほかメジャーリーグ、ニューヨーク・メッツのスプリングキャンプにも参加した。
田中将大にスライダーを伝授
99年に自ら中学生硬式野球チーム「ドリームファイターズ」を設立して監督に就任。翌年ボーイズリーグに加盟して「宝塚ボーイズ」となると、同年に全国大会ベスト8入りするなど強豪チームに育て上げた。東北楽天の田中将大も教え子の一人で、決め球のスライダーは奥村が教えたもの。
現在は指導者として活躍する傍ら08年に設立したNPO法人ベースボールスピリッツを通して少年野球の発展にも努めている。
関連人物
作品
LAST UP 2009/03/05