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三浦豪太(みうら ごうた)

プロスキーヤー。博士(医学)。生年月日:1969年8月10日。神奈川県出身。ユタ大学卒業。順天堂大学大学院医学部博士課程修了(加齢医学制御講座)。

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オリンピックの申し子 橋本聖子の五輪運

父は三浦雄一郎

 プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎の次男。姉も一人いるため3人兄弟。

 父の影響で幼い頃からスキーに親しむ。自宅にあった競技用トランポリンで遊んでいたことが後のモーグルに役立ったという。

11歳でキリマンジャロ登頂

 小学2年で神奈川から北海道札幌市に転居し、全校生徒が30人に満たない盤渓小学校に転校。大自然に囲まれた同校で冬になるとスキーに明け暮れ、アルペンスキーの大会で好成績を残した。同校は三浦雄一郎の息子がいると評判になり、生徒が激増したという。

 81年には小学校6年生(11歳)ながら祖父、家族とともにキリマンジャロの登頂に成功した。

中学生でアメリカ留学

 中学生になると海外留学を希望するも両親に反対され、興味を持ち始めていたモーグルに打ち込んで初出場の大会で3位入賞。アルペンの大会でも3位に入ったことで留学を許可され、83年にアメリカに留学。スキーの名門・ストラットンマウンテンスクール、ローランドホールでスキー漬けの日々を送り卒業後ユタ大学に進学した。

2大会連続五輪出場

 アメリカではアルペン一本だったが、大学進学後スキーを続けることに迷いが生じ、モーグルを再開するとスキーの楽しさを再認識して、モーグルの全日本選手権に出場。3位に入賞して日本のナショナルチームに選ばれたため、大学を休学してモーグルに打ち込み、94年リレハンメル五輪(27位)、98年長野五輪(13位)と2大会連続でオリンピックに出場した。

エベレスト親子同時登頂

 長野五輪後ユタ大学に復学し現役を引退。01年に大学を卒業して父の会社「ミウラ・ドルフィンズ」に入社した。03年には父・三浦雄一郎とともに日本人初のエベレスト親子同時登頂に成功。04年にはモーグルに復帰し大会出場した。

 12年に順天堂大学大学院医学部博士課程修了(加齢医学制御講座)。13年には世界初となる親子での2度目のエベレスト登頂を果たした。父・雄一郎の80歳でのエベレスト登頂は世界最高齢記録。

詳しすぎる解説

 現在はミウラ・ドルフィンズ低酸素・高酸素室のトレーニングシステム開発研究所長などを務める。19年1月、南米最高峰アコンカグア(6961m)登頂を達成した。

 14年ソチ五輪では解説を務め「詳しすぎる解説」として話題になる。22年北京オリンピックでもフリースタイル競技の解説を務める予定だったが、出発前にコロナ濃厚接触者となり、北京入りを断念した。 

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上村愛子

LAST UP 2022/02/05