スキージャンプ選手:クラレ所属。生年月日:1996年10月8日。北海道出身。日本体育大学卒業。身長152cm。
ワダマメちゃんねる
兄はTBS社員
北海道上川郡上川町に生まれる。長野五輪団体金メダリストで北京オリンピック日本選手団総監督の原田雅彦も同町出身。二人兄妹で兄・高梨寛大も元ジャンプ選手で現在はTBS社員。
小学2年でジャンプを始める
4歳でクラシックバレエを始め、中学2年まで続ける。同じくスキージャンプ北京五輪代表の勢藤優花は幼稚園からの幼馴染でバレエ教室も一緒だったという。
ジャンプ少年団に入っていた兄とコーチをしていた父の影響で、小学2年でジャンプを始める。元々運動神経がいいわけではなく球技も苦手だったが、ジャンプは楽しくてすぐに夢中になる。
女子ジャンプ
小学3年で出場した大会で優勝を飾り、4年生になると全国レベルの大会でも優勝。才能を認められ、6年生の時に代表候補選手に交じって小学生はただ一人、ナショナルチームの合宿に参加した。
当時まだ女子ジャンプは五輪種目ではなく、世界選手権は09年から、オリンピックは14年ソチ大会から採用されている。
スーパー中学生
09年に中学校に進学するとシニアの大会に本格的に参戦。日本代表に選ばれて「コンチネンタルカップ」のメンバーとして海外遠征に参加するようになる。
09年10月の「伊藤杯サマーファイナル」で優勝。10年3月の国際大会「国際蔵王ジャンプ大会」では3位となり、表彰台に上った。
10-11シーズンは、「サマーコンチネンタルカップ」で日本人トップの総合4位。11年1月のHBC杯では国内女子最長不倒となる141メートルを記録、『スーパー中学生』と脚光を浴びた。
女子最年少優勝
11年2月の「コンチネンタルカップ」ラムサウ大会で、国際スキー連盟公認大会で女子最年少優勝記録となる14歳で優勝。翌日の大会でも優勝し、初出場の世界選手権は6位。
ワールドカップ参戦
11-12シーズンから新たに女子部門がスタートしたW杯に参戦し、第3戦で2位となって日本女子初の表彰台を経験。ユースオリンピックとジュニア世界選手権で優勝を飾ると、蔵王大会で日本女子初のW杯優勝を果たし、シーズン個人総合で3位に入賞した。
W杯総合優勝
12年4月に「グレースマウンテンインターナショナルスクール」に進学し、8月に高卒認定試験に合格。女子が初開催となった「サマーグランプリ」では総合優勝を飾る(19年まで8連覇。20年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で縮小開催。21年は2位)。
12-13シーズンのW杯は開幕戦で優勝すると、16戦中8戦で優勝して初の総合優勝。ジャンプのW杯総合優勝は男女を通じて日本人初で、16歳4か月は史上最年少の快挙だった。
13年2月の世界選手権では日本女子初メダル(銀)を獲得し、混合団体(伊東大貴、竹内拓、伊藤有希)では金メダルを獲得している。
ソチオリンピック
所属先が『クラレ』となった13-14シーズンはジュニア世界選手権3連覇を飾り、ワールドカップでも13戦10勝の圧巻の強さでソチ五輪を迎える。
女子ジャンプが正式種目となったソチ五輪は金メダルの大本命に挙げられたが4位に終わった。
W杯4度の総合優勝
その後のW杯では復調し、18戦15勝、全戦で表彰台に立つ圧倒的な強さで総合2連覇を達成。
14年5月、17歳ながら飛び級で日本体育大学に入学。
14-15シーズンのW杯は総合2位に終わるも、15-16シーズンは17戦14勝の圧勝で2シーズンぶり3度目の総合優勝。16-17シーズンでも17戦9勝で2シーズン連続4度目の総合優勝を飾る。ワールドカップ4度の総合優勝は男子のヤンネ・アホネン、アダム・マリシュと並ぶ最多記録。
平昌オリンピック
17-18シーズンはマーレン・ルンビ(ノルウェー)、カタリナ・アルトハウス(ドイツ)の台頭で苦戦を強いられ、W杯未勝利で五輪を迎える。平昌五輪では女子ジャンプ日本人初メダルとなる銅メダルを獲得した(金・ルンビ、銀・アルトハウス)。
17-18のW杯では男女通じての歴代最多となる54勝目を挙げる。総合3連覇を逃すもルンビ、アルトハウスに続く3位。18-19、19-20のW杯は2季連続の総合4位だった。
表彰台最多記録
20-21シーズンは世界選手権ノーマルヒルで銅メダルを獲得すると、初開催のラージヒルでは銀メダルを獲得。W杯は惜しくも総合2位だったが、表彰台登壇が109回となり、ヤンネ・アホネンを抜いて男女通じてワールドカップ最多記録を更新。
北京オリンピック
21-22シーズンは全日本選手権のノーマルヒルで5大会連続7度の優勝を飾ると、初めて開催されたラージヒルでも優勝して2冠を達成。
22年の北京オリンピックは個人ノーマルヒルは4位。混合団体は1回目のジャンプがスーツの規定違反により失格となる。日本チームは4位だった。
復活優勝
北京五輪後に出場したW杯でシーズン2勝目、W杯通算62勝目を挙げた。
弘前大学大学院
なお18年に日体大を卒業し、現在は弘前大学大学院医学研究科 社会医学講座に所属している。
参考文献
関連人物
LAST UP 2022/03/07