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原田雅彦(はらだ まさひこ)

北京オリンピック日本選手団総監督。元スキージャンプ選手。生年月日:1968年5月9日。北海道上川町出身。東海大学付属第四高校(現東海大学付属札幌高校)卒業。身長173cm、体重60kg。血液型:A型。

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髙木美帆はなぜオリンピックでメダルを獲れたのか?

天才ジャンパー

 土建業を営む家に生まれる。子供の頃から運動神経抜群で徒競走では常に1位になるなどの活躍が評判になり、『上川ジャンプ少年団』に誘われ、小学3年でスキージャンプを始める。

 中学1年で全国中学校大会を制すと翌年も優勝して「天才ジャンパー」と注目を集め、中学3年で世界ジュニア選手権出場。

大学の誘いも親の負担を避け

 高校3年の時にインターハイで優勝。大学から推薦の誘いもあったが、両親に経済的負担をかけることを避けて雪印乳業に就職、アイスクリーム課に配属された。

V字ジャンプで才能が開花

 それまでは日本選手の中でも4、5番手に過ぎなかったが、91年に「V字ジャンプ」をマスターして才能が開花。一躍トップジャンパーの仲間入りを果たし、92年のアルベールビルオリンピックで個人ノーマルヒル(NL)14位、ラージヒル(LH)4位、団体4位。

 その後日本選手が次々とV字ジャンプをマスターして日本ジャンプ陣が躍進し、93年には世界選手権個人NLで優勝。日本人では札幌五輪の笠谷幸生以来21年ぶりの世界一に輝いた。なお同年に恵子夫人と入籍している。

まさかの失敗ジャンプ

 94年のリレハンメルオリンピックでは優勝候補だった団体でアンカーを務めたが、まさかの失敗ジャンプで銀メダルに終わる(個人NL55位、LH13位)。

深刻なスランプに

 その後ルール改正や新鋭・船木和喜の台頭もあって一時は深刻なスランプに陥ったが、95年にワールドカップ個人初優勝。97年には世界選手権個人LH優勝を成し遂げた(LHでの優勝は五輪・世界選手権を通じて日本人初)。

長野で悲願の金メダル

 雪辱を期した98年長野オリンピックは団体で悲願の金メダルを獲得し、個人LHでも銅メダルを獲得(NL5位)。その後も99年世界選手権個人NH3位、団体2位、02年ソルトレークシティーオリンピックは個人NL20位、LH20位、団体5位。

 5大会連続の五輪となった06年トリノオリンピックでは個人NL出場後スキー板の規定違反が発覚し失格となった。

チーム雪印監督に

 同年3月に現役を引退し、4月にチーム雪印のコーチに就任。斎藤浩哉の退任を受け、14年に監督に就任。21年に総監督に就任した。

ヒノマルソウル

 21年6月公開の田中圭主演の映画【 ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~ 】は98年長野五輪団体金メダルを獲得した原田や岡部孝信らを裏で支えたテストジャンパーの実話を描いたもの。

北京五輪総監督

 現在はJOC(日本オリンピック委員会)理事、全日本スキー連盟理事なども務める。21年10月、22年2月の北京冬季五輪の日本選手団総監督に就任することが決定した。 

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岡部孝信 葛西紀明

LAST UP 2021/10/13