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具志堅用高(ぐしけん ようこう)

タレント。元ボクシング世界チャンピオン。生年月日:1955年6月26日。沖縄県石垣市出身。興南高校卒業。身長162cm。血液型:A型。

野球部ではレギュラーになれず

 沖縄県石垣市に4人兄弟の3番目、次男として生まれる。体重1500グラムほどの未熟児だったため身体は小さかったが、スポーツは得意で徒競走は常にトップ。しかし中学校の野球部では小柄ゆえレギュラーになれず、卓球部に転部した。

高校でボクシングを始める

 地元石垣島の県立八重山商工高校を受験したが失敗し、沖縄本島にある私立の興南高校に進学。野球部を希望するも身体の小ささで門前払いを喰らうと、幼馴染の仲井真重次(現琉球ジム会長)に誘われてボクシング部に入部。銭湯「上原湯」に下宿してボクシングに打ち込んだ。「上原湯」は上原兄弟(兄・康恒は後の世界スーパーフェザー級王者、弟・晴治は後の日本フェザー級王者)の実家で、ボクシング指導も受けられ、店の手伝を条件に下宿費が免除されたという。

拓大進学で上京するも

 3年生の時にインターハイで優勝(モスキート級)するなど高校通算62勝3敗の戦績を残し、拓殖大学に進学してモントリオールオリンピックを目指すつもりで上京したが、具志堅の才能に目をつけ、羽田空港で待ち伏せしていた協栄ジムの関係者に強引に口説かれる。ジムに着くと記者会見が用意されており、されるがままにプロ入りを宣言。入学を辞退してプロに転向した。

新設のジュニアフライ級に転向

 74年に最軽量のフライ級でデビューするも小さな身体を持て余していたが、翌年1階級下のジュニアフライ級(現ライトフライ級)が新設されると転向し、76年、日本最短記録(当時)となるデビュー9戦目でWBA世界ジュニアフライ級王座を獲得。沖縄出身選手初の世界王者に輝いた。

沖縄出身選手初の世界王者

 その後も活躍を続けて世界戦6連続KO勝ちをマークし、日本選手世界タイトル最多防衛記録6を大幅に更新。当時のジュニアフライ級世界記録12も上回り、いまだ破られていない日本記録の13連続防衛を達成した。

ジム開設、殿堂入り

 81年、初めて地元沖縄で行った14度目の防衛戦でプロ初黒星となるKO負けを喫し王座陥落して現役を引退。引退後は解説者として活動しながら95年に日本人初の世界王者・白井義男とともに「白井・具志堅スポーツジム」を開設した。

 ジム会長を務める傍ら、10年4月から太田プロダクションに所属してタレントとしても活躍。同年5月には「プロボクシング世界チャンピオン会」を設立して副会長に就任した。会長はガッツ石松

 15年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。

白井・具志堅ジム閉館

 「白井・具志堅スポーツジム」では山口直子、比嘉大吾を世界王者に導いたが、20年7月31日で閉館、25年の歴史に幕を落とした。

プロボクシング戦績

24戦23勝(15KO)1敗。

関連人物

ガッツ石松 金平桂一郎 平仲明信

LAST UP 2020/10/09