柔道家。1969年9月3日生、愛知県出身。明治大学卒業。身長180cm。
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父親の勧めで柔道
小学4年でサッカーを始めたが、身体が大きいというだけでゴールキーパーをやらされたため興味をなくし、父親に勧められた柔道を始めてみるとわずか3ヶ月で出場した市大会で3位に入賞。
吉村和郎から攻めの柔道を
中学3年で上京して名門「講道学舎」に入門、以降恩師・吉村和郎から徹底的に「攻めの柔道」を教え込まれたほか付き人も務めた先輩・古賀稔彦からも多くの技を盗み、全国中学校大会で準優勝。世田谷学園高校時代は高校選手権、インターハイ、金鷲旗の三冠を制覇し、インターハイ個人でも優勝した。なお古賀同様、吉田も恩師・吉村を尊敬し、絶大な信頼を寄せていたと言う。
バルセロナ五輪金メダル
大学時代は全日本学生体重別選手権を3連覇し、世界学生選手権も2度制覇。92年に「新日本製鐵」に入社すると同年のバルセロナ五輪では全試合一本勝ちで74キロ級金メダルを獲得。翌日には大会直前に吉田との練習で負傷した古賀稔彦も金メダルを獲得した。なお大会前の吉田は無名の存在だったが古賀の怪我で注目され、金メダルを獲得して一躍脚光を浴びた。古賀とは選手村で同室だったが、負傷後も一切弱音を吐くことはなく、逆に吉田を気遣ったと言う。
アトランタ五輪初戦一本負け
94年に86キロ級に転向すると同年の全日本選手権(体重無差別)では大学の先輩で大会5連覇中の小川直也を判定で破る金星を挙げて準優勝。96年のアトランタ五輪は初戦で一本負け、その後敗者復活戦を勝ち上がるも3位決定戦で敗れて5位に終わった。
悲願の世界選手権初優勝
97年には明大柔道部監督に就任したが現役も続け、99年に悲願の世界選手権初優勝を果たす。しかし翌年のシドニー五輪は3回戦で敗退、右ひじ脱臼により敗者復活戦を棄権した。
吉田道場を開設
02年に現役を引退して「吉田道場」を開設。同年からはプロ格闘家としても活躍していたが、10年に引退。現在は吉田道場で指導を続ける傍ら11年5月には実業団パーク24柔道部の監督に就任した。
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LAST UP 2011/07/08